“じんだゆう”の漢字の書き方と例文
語句割合
甚太夫100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
甚太夫じんだゆう主従は宿を変えて、さらに兵衛ひょうえをつけ狙った。が、その四五日すると、甚太夫は突然真夜中から、烈しい吐瀉としゃを催し出した。
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
橋谷をはじめとして、一座の者が微笑ほほえんだ。橋谷は「最期さいごによう笑わせてくれた」と言って、家隷に羽織を取らせて切腹した。吉村甚太夫じんだゆうが介錯した。井原は切米きりまい三人扶持ふち十石を取っていた。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
むかし上方かみがたの三粋人、吉郎兵衛きちろべえ六右衛門ろくえもん甚太夫じんだゆうとて、としはわかし、家に金あり、親はあまし、男振りもまんざらでなし、しかも、話にならぬ阿呆あほうというわけでもなし、三人さそい合って遊び歩き
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
そこで彼等はまず神田の裏町うらまちに仮の宿を定めてから甚太夫じんだゆうは怪しいうたいを唱って合力ごうりきを請う浪人になり、求馬もとめ小間物こまものの箱を背負せおって町家ちょうかを廻る商人あきゅうどに化け
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
寛文かんぶん十年陰暦いんれき十月の末、喜三郎は独り蘭袋に辞して、故郷熊本へ帰る旅程にのぼった。彼の振分ふりわけの行李こうりの中には、求馬もとめ左近さこん甚太夫じんだゆうの三人の遺髪がはいっていた。
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)