“しげのり”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
重茲20.0%
茂徳20.0%
重矩20.0%
垂範10.0%
茂勲10.0%
重徳10.0%
重教10.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
以前は、山路将監しょうげんが坐っていたが、秀吉が、配置代えを命じて、山路や大金を外曲輪そとぐるわに出し、木村隼人佑重茲しげのりを本丸へ入れたのは、つい先頃のことであった。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その父前大納言慶勝よしかつが安政五年七月将軍家後嗣こうしの事に関して井伊大老のむ所となり退隠を命ぜられた時、元千代はまだ生れていなかったので、慶勝の弟茂徳しげのりが尾州家を継いだ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「しかし周防どのの申されるには、そのひと言が云えたのは、その座に久世侯がおられたからであるし、また久世侯が列席されたかげには、板倉(重矩しげのり)侯の奔走があったからだということでした」
固めていた敵方の将は、足助あすけ次郎垂範しげのりであったが、三人張りの強弓に、十三束三伏の、雁叉かりまたの矢をひきつがえ、二町をへだてた我らの陣へ鳴り音たかく射てよこした
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
土越二藩なお前説を固執するならば、いかなる不測の変あらんも測られざるに至ったので、浅野茂勲しげのりその間に周旋して遂に容堂、春嶽をして譲歩せしめた。
鳥羽伏見の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
さらに勅使左衛門督さえもんのかみ大原重徳しげのりを奉じて東下して来たほどの薩摩人の活躍を想像しながら、その年の六月中旬には諏訪すわにはいった。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
七月大府おおふに向い、翌永禄元年二月には、義元に叛き信長に通じた寺部城主鈴木重教しげのりを攻め、同じく四月には兵糧ひょうろうを大高城に入れた。
桶狭間合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)