“きやうへい”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
杏坪33.3%
強兵33.3%
杏平33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
「劉梅泉は彭城彦二郎、游竜彦二郎とも称し候。頼杏坪きやうへいとも会面したる旨、寛斎宛同人書翰に見え居候。彭城東閣の裔かと愚考仕候。」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
頼氏では此春杏坪きやうへい邑宰いふさいを辞して三次みよしを去つた。年は七十五である。「何同老萼黏枝死。好趁乳鳩呼子帰。」杏坪の子は采真舜燾さいしんしゆんたうである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
若しすべての文学者ぶんがくしやかつ兵役へいえき従事じゆうじせしめば常備軍じやうびぐんにはか三倍さんばいして強兵きやうへいじつたちまがるべく、すべての文学者ぶんがくしや支払しはら原稿料げんかうれうつもれば一万とん甲鉄艦かふてつかん何艘なんざうかをつくるにあたるべく
為文学者経 (新字旧仮名) / 内田魯庵三文字屋金平(著)
兄の杏平きやうへいのうちは洛北らくほくも二里ばかり電車から先を歩かなければならない遠さなので、滞在中の宿には余り面白くない訳だつた。だと云つて、時子の宅も面白い訳ではなかつた。
曠日 (新字旧仮名) / 佐佐木茂索(著)