陸奥みちのく)” の例文
旧字:陸奧
直ぐに其の音を打消す他の響が伝はる。これは不来方城はんの鐘楼から、幾百年来同じ鯨音おと陸奥みちのくそらに響かせて居る巨鐘の声である。
葬列 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
その果てが、もつれに一そう、もつれを深め、相互、「かくてはらちもあかじ」とばかり、ついに陸奥みちのくの火の手になったものだという。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この歌のうたうとおり、蔵王山は、陸奥みちのくを二つに分けているのであって、一方は日本海、一方は太平洋に面しているわけである。
樹氷の科学 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
天慶てんぎょうの昔、平将門たいらのまさかどが亡びた時に、彼は十六歳の美しい娘を後に残して、田原藤太たわらとうたの矢先にかかった。娘は陸奥みちのくに落ちて来て、尼となった。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
磐城の連山の雲霧の彼方かなたに、安達ヶ原がある、陸奥みちのくのしのぶもじずりがある、白河の関がある、北海の波に近く念珠ねずせきもなければならぬ。
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
大伴家持は、天平感宝元年五月十二日、越中国守の館で、「陸奥みちのく国よりくがねを出せる詔書をことほぐ歌一首ならびに短歌」を作った。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
わたしが陸奥みちのくの山里にいたころ、毎日毎日、歌日記をよこしてくれて、ある日、早いはぎの花を封じこめ、一枚の写真を添えて、この男を、亡父ちち
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
……ときなびきかゝるくもいうなるさへ、一てん銀河ぎんが髣髴はうふつとして、しかも、八甲田山かふださん打蔽うちおほふ、陸奥みちのくそらさびしかつた。
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
業平なりひら朝臣あそん実方さねかたの朝臣、——皆大同小異ではないか? ああ云う都人もおれのように、あずま陸奥みちのくくだった事は、思いのほか楽しい旅だったかも知れぬ。
俊寛 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
陸奥みちのくのあさかの沼の花がつみかつ見る人に恋やわたらむ」の花ガツミはマコモ、すなわち真菰まこもの花をしたもので、なんらこのハナショウブとは関係はないが
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
これも奥の方は、陸奥みちのくと同じく、久しく異民族住居の化外の地で、これを出端いではしと言つたのであらう。
津軽 (新字旧仮名) / 太宰治(著)
それが黄金花咲く陸奥みちのくから起って、遠く九州くんだりまで飛んで行ったと解する必要はない。
大切なものを取り落したことに気がついて愕然がくぜんとし、こく切れから、お暇勝手次第の触れが出たのを幸いに、御役ご免を願い、すぐにも陸奥みちのくに下るつもりで、そうそうに江戸へ帰った。
奥の海 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
頼朝よりとも公と不和になられた義経よしつね公が、弁慶べんけい亀井かめい伊勢いせ駿河するが常陸坊ひたちぼうの四天王を引きつれて陸奥みちのくへ下向される。一同は山伏に姿をやつしている。が、こうしたことは鎌倉に聞えている。
「天晴れぞや。——俊二郎とやら、陸奥みちのくの秋風はまたひとしお身にしみる喃」
東は信州・北陸から関東・陸奥みちのくにかけ、常に連絡も取れたし、それに北条氏討伐御計画の頃、護良もりなが親王の令旨は全国に飛んでいるので、地方には最後まで吉野朝に味方した豪族が多くあった。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
平兼盛の「陸奥みちのくの安達か原の黒塚に鬼こもれりといふはまことか」
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
陸奥みちのくの阿古屋の松にがくれて
かしここそ陸奥みちのくざかひ
晶子詩篇全集拾遺 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
かの陸奥みちのくの野に住めり
若菜集 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
「じゃあ、将門。自重してくれ。——陸奥みちのくの帰りには、また、きっと寄る。冬を越えて、来年になるだろうが、必ず、立寄るから」
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いまかつて折助風俗に落ちた覚えはないのに、陸奥みちのくはてへ来て、しかも子供の口から、こういったあざけりをあてつけられようとは、あさましい。
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
陸奥みちのく信夫摺しのぶずりのような模様を白く染め出した薄萌黄うすもえぎ地の小振袖を着て、やはり素足に藁草履をはいていたというだけを、しるすにとどめて置きたい。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
先年陸奥みちのくの戦ひに餓ゑて人の肉を食つて以来、鹿の生角いきづのさへ裂くやうになつたと云ふ強力がうりきの侍が、下に腹巻を着こんだ容子で、太刀を鴎尻かもめじりらせながら
地獄変 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
白河しらかははやがて、きしきるかはづこゑ、——かはづこゑもさあとひゞく——とゝもに、さあとる、ながれおとわかるゝごとく、汽車きしやあだかあめ大川おほかはをあとにして、また一息ひといきくら陸奥みちのくしづむ。
続銀鼎 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
陸奥みちのく真野まぬ草原かやはらとほけども面影おもかげにしてゆとふものを 〔巻三・三九六〕 笠女郎
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
山上憶良の言い草ではないが、白銀しろがね黄金こがねたまとを人間第一の宝として尊重せられた奈良の御代において、陸奥みちのくから黄金が発見されたと聞いては、我も我もとその宝の山に分け入りたくなる。
しかし陸奥みちのくゆえに、夏草の上をかすめて夕陽を縫いながら吹き渡る風には、すでに荒涼こうりょうとして秋の心がありました。——背に吹くや五十四郡の秋の風、と、のちの人にまれた、その秋の風です。
後柏原ごかしわばら天皇大永たいえい年間、陸奥みちのく一円にかくれなき瀬越の何がしという大賊、仙台名取川なとりがわの上流、笹谷峠ささやとうげの附近に住み、往来の旅人をあやめて金銀荷物押領おうりょうし、その上、山賊にはめずらしく吝嗇りんしょくの男で
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
夏の休みを陸奥みちのく
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
近国はおろか、陸奥みちのくにまで、すでに上人の徳はあまねく行きわたっているし、念仏宗に対する人々の信仰は、日に月にさかんになってきている。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
豊臣時代の狩野かのうの画家の名であることを知り、今日のこの時勢に、一枚の絵を見ようとして、陸奥みちのくまで出かける閑人ひまじん……一人の画工にあこがれて
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
書紀によると、日本では、推古すいこ天皇の三十五年春二月、陸奥みちのくで始めて、むじなが人に化けた。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
汽車きしやこゝろざひとをのせて、陸奥みちのくをさしてくだく——れかゝる日暮里につぽりのあたり、もり下闇したやみに、遅桜おそざくらるかとたのは、夕靄ゆふもやそらきざまれてちら/\とうつるのであつた。
銀鼎 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
野州から陸奥みちのくにつづく大きい平原は、大きい夜の底に墓場のように静かに眠っていた。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
続紀しょくきには、天平二十一年二月、陸奥みちのく始めて黄金をみついだことがあり、これは東大寺大仏造営のために役立ち、詔にも、開闢かいびゃく以来我国には黄金は無く、皆外国からのみつぎとして得たもののみであったのに
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
陸奥みちのくやまに黄金花咲く」となる。
このほか、さきには陸奥みちのく、越後、硫黄島へまで流された僧侶もあるから、宮方加担の僧はほとんど根絶されたといっていい。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
立って北上川及びその彼方かなた、漠々と連なる陸奥みちのくの平野を見ているうちに、白雲は旅心濛々りょしんもうもうとして抑え難く、やがて大きな声をあげて歌い出しました。
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
四十前後の旅びとはひたいを皺めて怖ろしそうに語った。それを黙って聴いている若い旅びとは千枝太郎であった。それを語っている旅びとは陸奥みちのくから戻って来た金売かねうりの商人あきうどであった。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
陸奥みちのく塩竈しほがまの景色を写したので名高いあの東三条の河原院に、夜な/\現はれると云ふ噂のあつたとほるの左大臣の霊でさへ、大殿様のお叱りを受けては、姿を消したのに相違ございますまい。
地獄変 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
陸奥みちのくに友は死につつまたたきのひまもとどまらぬ日の光かなや
つゆじも (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
陸奥みちのくに半年あまり、下総しもうさの法典ヶ原に、百姓の真似事まねごとして、二年ほどを過ごし、いつまで、土いじりもと存じて、これまで、参ってござります」
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一旦は船へ戻るとしても出直して、北上の竿頭かんとうさらに一歩を進めて、陸奥みちのくくがの果てなる恐山——鬼が出るか、じゃが出るか、そこまで行って見参したいものだな。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「その下の乳呑みは、鞍馬へ追いあげられ、稚子ちごとなっていたそうじゃが、いつの間にやら、それも巣立ちして、陸奥みちのくへ逃げ走ってしもうたとか」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして背には負仏おいぼとけを納めた箱一つ、これは陸奥みちのくの端より佐渡ヶ島、特に佐渡ヶ島には法縁が豊かであったと見えて、幾多の堂宮、仏体、巻軸が残っている。佐渡を離れる時に
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
さきに、顕家と別れて、この吉野へ来ておられた義良よしなが親王は、そのため三たび、陸奥みちのくの任へ就いてくことになった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
津軽の豪族、安藤季長あんどうすえなが、安藤五郎、ほかすべての一族同士が、各〻、伝来受領じゅりょうの領域を争いあい、ついに陸奥みちのく一帯に布陣し出したということだった。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
にがい反省を抱きつつ歩いているのだ。——木曾、中山道なかせんどうから江戸へと志して、その江戸にはいること僅か数日で、再び陸奥みちのくの旅へ去った彼であった。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれど、一昨年ぶらりとお姿を見せ、陸奥みちのくの戻りにはまた、立ち寄るようなことをいわれていたという話に
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)