嫩葉わかば)” の例文
さうするとはたつゝとほちかはやしには嫩葉わかば隙間すきまからすくなひかりがまたやはらかなさうしてやゝふかくさうへにぽつり/\とあかるくのぞこん
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
街路とおりには晩春の午後のが明るくして、町はひっそりとしていた。そこここの塀越しに枝を張っている嫩葉わかばにも風がなかった。
指環 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
とたんに樹々の嫩葉わかばも梢もびゅうびゅうと鳴って、一点暗黒となったかと思うまに、一ちゅう巻雲まきぐもが、はるか彼方の山陰をかすめて立ち昇った。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後閑駅から西方八里奥にある法師温泉をめぐる山々や谷々は銀鼠色のやわらかい嫩葉わかばが、ほんの少しばかり芽皮を破った雑木林に蔽われていた。
岩魚 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
その中を二人は手を引き合って帰って来たが、嫩葉わかば女学校の横の人通りの絶えた狭い通りへ這入はいると、チエ子が不意に立ち止まって母親を引き止めた。
人の顔 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
切符をわたして思った以上に小さい、人けのないガランとした停車場の構内を出ると、繁り切った桜の嫩葉わかばの、雨を含んだ陰鬱な匂がしずかにわたしに迫った。
春深く (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
嫩葉わかばえ出る木々のこずえや、草のよみがえる黒土から、むせぶような瘟気いきれを発散し、寒さにおびえがちの銀子も、何となし脊丈せたけが伸びるようなよろこびを感ずるのであった。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「ふん」と受けた藤尾は、細い首を横に庭のかたを見る。夕暮を促がすとのみ眺められた浅葱桜あさぎざくらは、ことごとくこずえを辞して、光る茶色の嫩葉わかばさえ吹き出している。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
またヨモギは誰もが知っている通り春の嫩葉わかばを採って餅へ搗きこみ、ヨモギ餅をこしらえる。色が緑でかつ香いがあってよい。そこで普通にこれをモチクサととなえる。
植物一日一題 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
褐色のねばっこいような嫩葉わかばと共に、青い海を背景にして、その絢爛けんらんたる花をひらき、やがて、花吹雪の時には、花びらがおびただしく海に散り込み、海面をちりばめて漂い
人間失格 (新字新仮名) / 太宰治(著)
緑の枝を繋げていた外苑の木立の、ざわめいて嫩葉わかばがきらきらと氾れるように一面に光るさまを、彼は目に浮かべた。若い夏の、みずみずしい新緑の光だけを、彼はみつめていた。
昼の花火 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
やがて私は嫩葉わかばの森に囲繞いにょうせられたヴェランダへ出て、食後の煙草を楽しんだり、白菖マートルの生えた池のほとり逍遥さまよいながら、籐の寝椅子にもたれてうとうとと昨夜ゆうべの足りぬ眠りを補ったり
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
才はじけた性質を人臆ひとおくしする性質がぼかしをかけている若者は何か人目につくものがあった。薄皮仕立で桜色の皮膚は下膨しもぶくれの顔から胸鼈へかけて嫩葉わかばのようなにおいと潤いを持っていた。
食魔 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
四月に入ると、街にはそろそろ嫩葉わかばも見えだしたが、壁土の土砂が風にあおられて、空気はひどくザラザラしていた。車馬の往来は絡繹らくえきとつづき、人間の生活が今はむき出しでさらされていた。
壊滅の序曲 (新字新仮名) / 原民喜(著)
春ならば花さかましを、秋ならば紅葉もみじしてむを、花紅葉今は見がてに、常葉木とこわぎも冬木もなべて、緑なる時にしあれば、遠近おちこちたたなづく山、茂り合ふ八十樹やそき嫩葉わかば、あはれともしたまはな。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
田植時たうえどきも近いので、の田も生温なまぬるい水満々とたたえ、短冊形たんざくがたの苗代は緑の嫩葉わかば勢揃せいぞろい美しく、一寸其上にころげて見たい様だ。どろ楽人がくじん蛙の歌が両耳にあふれる。甲州街道を北へ突切つっきって行く。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
さすがに辺鄙ひなでもなまめき立つ年頃としごろだけにあかいものや青いものが遠くからも見え渡る扮装つくりをして、小籃こかごを片手に、節こそひなびてはおれど清らかな高いとおる声で、桑の嫩葉わかばみながら歌をうたっていて
雁坂越 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
水楢のやは嫩葉わかばはみ眼にして花よりもなほや白う匂はむ
黒檜 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
嫩葉わかばがさまざまにひるがへる
『春と修羅』 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
初夏の山の中は嫩葉わかばに飾られて、見おろすみちの右側の谷底には銀のような水が黒い岩にからまって見えた。杜鵑ほととぎすの鳴くのが谷の方で聞えていた。
竈の中の顔 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
鼻の先の境内の青葉嫩葉わかばは、ツイ二、三日前の恐ろしい殺人事件を夢にしたかのように、花よりも美しい若緑を盛り上げて、冷やかな朝東風あさごちを薫らせて来る。
籾種もみだねがぽつちりとみづげてすとやうやつよくなつた日光につくわうみどりふかくなつた嫩葉わかばがぐつたりとする。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
十畳の廊下外のひさしの下の、井戸のところにある豊後梅ぶんごうめも、黄色くすすけて散り、離れの袖垣そでがき臘梅ろうばいの黄色い絹糸をくくったような花も、いつとはなし腐ってしまい、しいの木に銀鼠色ぎんねずいろ嫩葉わかば
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
こずえをふり仰ぐと、嫩葉わかばのふくらみに優しいものがチラつくようだった。樹木が、春さきの樹木の姿が、彼をかすかに慰めていた。吉祥寺きちじょうじの下宿へ移ってからは、人はれにしかたずねて来なかった。
永遠のみどり (新字新仮名) / 原民喜(著)
そこでその嫩葉わかばを揉みて髪の中にしのばせ、あるいは油に和して婦人の頭に伝え、あるいは体にび、また湯に入れてこれに浴したものだ。ゆえに、一にこれを香草と称え、香水蘭と呼んだのである。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
岸の柳がビロードのような嫩葉わかばを吐いたばかりの枝を一つ牡蠣船のほうに垂れていたが、その萌黄色もえぎいろの嫩葉に船の燈が映って情趣を添えていた。
牡蠣船 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
田圃たんぼはんはだらけたはなちて嫩葉わかばにはまだすこひまがあるので手持てもちなささうつて季節きせつである。わづかうるほひをふくんであしそこ暖味あたゝかみかんずる。たがやひとはまだたぬ。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
四谷見付よつやみつけで電車を降りると、太い濁った声で、何か鼻唄を歌い歌い、チエ子と後になり先になりして来たが、やがて嫩葉わかば女学校の横の暗いところに這入ると、ちょうど去年の秋に
人の顔 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
桃の木や柿の木が生えて、その嫩葉わかばに出たばかりの朝陽が当っていた。簷下を見ると物干竿は平生いつものように釣るされていた。益之助はまた嘲笑った。
宝蔵の短刀 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
山のふもとの渓川の岸には赤と紫の躑躅つつじ嫩葉わかば刺繍ししゅうをしたように咲いていた。武士の眼は躑躅の花に往った。躑躅の花は美しかった。武士の眼は山の方に往った。
山寺の怪 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
その物におびえたあし嫩葉わかばの風にふるえるような顔を、長者のむすめは座敷の方からのぞくようにしておりました。
宇賀長者物語 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
石を敷いたみちの右側には白いアセチリン瓦斯ガスがあって、茹卵ゆでたまご落花生らっかせいを売る露店ろてんが見えていた。瓦斯の燈はその露店のうしろれた柳の枝の嫩葉わかばにかかっていた。
女の首 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
自動車は山の手の嫩葉わかばの多い街を往った。目黒駅の片隅には彼女が黒っぽい服装をして、人に顔を見られないように新聞紙の中へ顔をうずめるようにして待っていた。
一握の髪の毛 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
広巳は四辺あたりに眼をやった。一方からけやき嫩葉わかばの枝が出て来ているばかりで、桜らしい樹はなかった。
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
建物がゆがんで映り、時とすると灰汁あくのような色をして飛んでいる空の雲が鳥のつばさのように映り、風のために裏葉をかえしている嫩葉わかばが銀細工の木の葉となって映った。
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
楓は微紅うすあか嫩葉わかばをつけていた。定七はその楓の根元へ三宝を供えて、その前へしゃがんで掌を合せた。
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
その路縁みちぶちにも、そこここに白楊はこやなぎが立ち、水の中へかけてあし嫩葉わかばが湖風にかすかな音を立てていた。白楊の影になった月の光のさない処に一つ二つ小さな光が見えた。それはほたるであった。
水郷異聞 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
ぼつぼついたアーク燈の光に嫩葉わかばの動いているのが見えていた。女は微暗うすぐらい広場の上をあっちこっちと見るようであったが、すぐ左側の木の陰で暗くなったベンチの方へ往って腰をかけた。
女の首 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
そこには躑躅つつじが咲き残り、皐月さつきが咲き、胸毛の白い小鳥は嫩葉わかばの陰でさえずっていた。そして、松や楢にからまりついた藤は枝から枝へつるを張って、それからは天神てんじん瓔珞やぐらのような花房はなぶさを垂れていた。
藤の瓔珞 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)