下野しもつけ)” の例文
九百余人から成る一団のうち、水戸の精鋭をあつめたと言わるる筑波組は三百余名で、他の六百余名は常陸ひたち下野しもつけ地方の百姓であった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
前社長楠本正敏男は新たに下野しもつけの実業家福田英助君に社を譲り渡してしまった、これは主筆田川大吉郎氏が洋行中のことであった。
生前身後の事 (新字新仮名) / 中里介山(著)
日本にっぽん国中くにじゅう方々ほうぼうめぐりあるいて、あるとき奥州おうしゅうからみやこかえろうとする途中とちゅう白河しらかわせきえて、下野しもつけ那須野なすのはらにかかりました。
殺生石 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
「やよ、右馬介。帰ろう。帰ろうっ。どうやら北の国で戦乱が起ったらしいぞ。遍歴などはしておられぬ。すぐ東国下野しもつけせ戻ろうわい」
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日本の歴史に有名なる下野しもつけの足利郡足利、またはその北隣なる利保かかぼなども、かつてはやや開きにくい草生地であったと解しなければならぬ。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
太田から往昔むかしの佐野の渡しのあつた渡良瀬川を渡つて、安蘇山、都賀山の裾を掠めて、そして下野しもつけむろ八島やしまの方へと出て行つたのであつた。
日光 (旧字旧仮名) / 田山花袋(著)
上野こうずけ下野しもつけ道の記」と題する紀行文を書いているが、それには狂歌や俳句などをも加えて、なかなか面白く書かれてある。
寄席と芝居と (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
吾助は下野しもつけの佐野という土地の産であって、故郷において二三の職業に失敗、三十一歳のおり江戸へ出て繩屋を開業した。
長屋天一坊 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
東京を中心にして関東の地図を見ますと、その中には相模さがみ武蔵むさし安房あわ上総かずさ下総しもうさ常陸ひたち上野こうずけ下野しもつけなどが現れます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
妻は下総国しもうさのくに佐倉の城主堀田ほった相模守正愛まさちか家来大目附おおめつけ百石岩田十大夫いわたじゅうたゆうむすめ百合ゆりとして願済ねがいずみになったが、実は下野しもつけ安蘇郡あそごおり佐野さのの浪人尾島忠助おじまちゅうすけむすめさだである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
美濃みのの国の竜泰寺りようたいじ一夏いちげみたしめ、此の秋は奥羽のかたに住むとて、旅立ち給ふ。ゆきゆきて下野しもつけの国に入り給ふ。
管狐は駿州すんしゅう、遠州、三州の北部に多く、関東にては上野こうずけ下野しもつけに最も多し。上野の尾崎村のごときは、一村中この狐を
迷信解 (新字新仮名) / 井上円了(著)
正保図には利根とね勢多せた二郡及下野しもつけとの境に「さく山」と記入してある。貞享元年九月二十九日の序ある古市剛の『前橋風土記』には、山川部の根利諸山の項に
皇海山紀行 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
続日本紀、元正天皇霊亀二年五月の条に、「駿河、甲斐、相模、上総かずさ、下総、常陸ひたち下野しもつけの七国の高麗人一千七百九十九人を武蔵の国にうつし、高麗郡を置く」
下野しもつけの国のある里の法師が、十二三歳の童児をちょうあいしていたところ、その童児がやまいために死んでしまったので
百面相役者 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
しかし某の兵法をもってすれば陥落おとしいれることも容易である。一手は下野しもつけ日光山に立籠もることも肝要でござろう。華麗を極めた東照宮を焼き立てるのも一興じゃ
正雪の遺書 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
日光ご社参のさいごの宿は、下野しもつけ国(今の栃木県)宇都宮で七万八千石、戸田山城守とだやましろのかみのお城でした。
幻術天魔太郎 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
試掘もしくは採掘の事業、公益に害ある時は、農商務大臣は既に与へたる許可を取消すことを得とあり——然るに栃木県下野しもつけ国上都賀郡足尾銅山より流出するすべての鉱害は
政治の破産者・田中正造 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
女が、前の下野しもつけかみだった、二十も年上の男の後妻となったのは、それから程経ての事だった。
姨捨 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
将軍山頂に便を催おし、くさむらの中に男体山を眺めながら、上野こうずけ下野しもつけの国境上に真黒な塊を残す。
此等を向うに廻していつ返しつして、次第次第に斬勝きりかって、既に西は越後境、東は三春、北は出羽にまたがり、南は白川を越して、下野しもつけの那須、上野こうつけの館林までも威燄いえんは達し
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
また弘経寺のある処は上野こうずけ下野しもつけ常陸ひたち三州の国境になっていることも二家の詩賦に見えている。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
大炊介は儒学の勉強をしていた下野しもつけの足利学校から、どちらも五年ぶりに故里へ帰り着いたその第一日目に、偶然、渡し舟に乗りあわすという運命的なめぐりあいをしている。
うすゆき抄 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
文久二年正月の坂下門さかしたもん事件(それと関連せる輪王りんのう寺擁立挙兵策・一橋擁立挙兵策など)に連座・獄死した下野しもつけ義徒の中心には、宇都宮うつのみやの呉服商菊池教中きくちのりなか、大橋訥庵兄弟がおり
志士と経済 (新字新仮名) / 服部之総(著)
「安蘇」は下野しもつけ安蘇郡であろうが、もとは上野こうずけに入っていたと見える。この巻に、「下毛野しもつけぬ安素あその河原よ」(三四二五)とあるのは隣接地で下野にもかかっていたことが分かる。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
伝吉でんきちんで、「時にわたし今度こんど下野しもつけから上州じやうしうはうくについて、おまへともれてかうと思ふが、面白おもしろくもなんともない、ひどい山の中へくんだが、くかえ」「それは有難ありがたい、 ...
塩原多助旅日記 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
江州ごうしゅう伊香いか郡坂口村の菅山寺は昔猴が案内して勅使に示した霊地の由(『近江輿地誌略』九〇)、下野しもつけより会津方面にかけて広く行わるる口碑に、猿王山姫と交わり、京より奥羽に至り
下野しもつけ富田の村の菊世という女は、快庵禅師かいあんぜんじにその時の容子ようすを話して聞かした。
あじゃり (新字新仮名) / 室生犀星(著)
八ヶ岳の火山彙かざんいが見える、上野こうずけ下野しもつけの連山は、雲を溶かして、そのまま刷毛はけで塗ったのではないかとおもうような、紺青色をして、その中にも赤城山と、榛名山が、地蔵岳と駒ヶ岳の間に
白峰山脈縦断記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
杉戸屋すぎとやとみ右衞門儀六月廿六日あさ卯刻むつどき幸手宿我が家出立致し下總葛飾郡藤田村名主儀左衞門方へとまり廿七日朝卯刻すぎ出立致し下野しもつけ都賀郡つがごほり栃木とちぎ中町なかまち油屋徳右衞門方へとまり廿八日同所に逗留とうりう廿九日ひる巳刻よつどき過栃木中町を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
下野しもつけの 機場はたば
別後 (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
その声を聞くと、それは日中、渡頭わたしばを徘徊していたところの、下野しもつけの足利の貧乏にして豪傑なる絵師田山白雲に相違ありません。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
武蔵むさし上野こうずけ下野しもつけ甲斐かい信濃しなのの諸国に領地のある諸大名はもとより、相模さがみ遠江とおとうみ駿河するがの諸大名まで皆そのお書付を受けた。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
こうとうといえば、ちょっとした名族である。祖は山階家やましなけから出ており、三河、武蔵、下野しもつけあたりに、子孫は分布されている。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
岩代から下野しもつけのくにへ入ったのが夏七月、それから常陸ひたちへまわり、上野こうずけのくにから江戸へ着いたのが秋九月であった。
足軽奉公 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
僧道鏡の貶せられた藥師寺の趾やその墓の今日猶その附近に殘つてゐるのを見ても、上野かうづけの國府から下野しもつけの國府へとの路の榮えたさまが想像された。
日光 (旧字旧仮名) / 田山花袋(著)
渋江氏の祖先は下野しもつけ大田原おおたわら家の臣であった。抽斎六世の祖を小左衛門こざえもん辰勝しんしょうという。大田原政継せいけい政増せいそうの二代に仕えて、正徳しょうとく元年七月二日に歿した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
たとえば水戸ではオチゴ花、下野しもつけではチチコまたはカワラチゴ、仙台でもチチンコといっていたというが、今ではもう行われておらぬかも知れない。
つぎに、上野こうずけ下野しもつけ方面にてはオサキの迷信があるが、そのありさまは、さきに述べたる埼玉県と同様である。ただ一つ、群馬県の特色としては達磨だるま市である。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
その後弓削道鏡ゆげのどうきょうが再び手に入れて悪逆を企て、のち失脚して下野しもつけに流され、爾来しばらく行方を失い、あたら珍書も風塵にうずもれ姿を没するかと思われたおりから
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
足跡そくせき常陸ひたち磐城いわき上野こうずけ下野しもつけ信濃しなの、越後の六ヶ国にわたり、行程約百五十里、旅行日数二週間内外、なるべく人跡絶えたる深山を踏破して、地理歴史以外に、変った事を見聞けんもん
本州横断 癇癪徒歩旅行 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
ある年、美濃みのの国の竜泰寺りょうたいじ夏安居げあんごの修行をすまされると、この秋は奥羽地方に滞在しようと、そこを出立して東国にむかわれた。旅を重ねて、やがて下野しもつけの国におはいりになった。
間もなく、辛うじて身を起し、『明治四十一年浅間山へのぼる。雲の海の上にあらはるる信濃のやま上野かみつけのやま下野しもつけの山』『明治四十一年十一月とおぼえておけ。日本新聞に出てゐる』
島木赤彦臨終記 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
私はこの上の猪の出る山隈やまくまに、ささやかな領地を持っている青山大炊介という郷士ですが、四、五年、下野しもつけの足利に居り、この谷津にかような邸第の出来たことも、今日はじめて知った次第。
うすゆき抄 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
そして道鏡は不用になり、下野しもつけの国、薬師寺の別当として都を追われた。
安吾史譚:02 道鏡童子 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
それがしは下野しもつけの国の住人、那須与市宗隆のおとと、同苗与五郎宗春。
平家蟹 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
言はれて見れば其の通りであるから、貞盛も吾が女房の兄弟の仇、言はず語らずの父のかたきであるから、心得た、と言切つた。姉妹三人の夫たる叔父甥三人は、良兼を大将にして下野しもつけを指して出発した。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
その鼠を追いたりしかば下野しもつけ足緒あしおまで逃げたり。
下野しもつけの 機場はたば
雨情民謡百篇 (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
官符の通達された範囲は、武蔵、安房、上総、常陸、下野しもつけの国々である。ところが、偶然にも、同じその年十一月末に、富士山の大噴火が起った。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)