隠岐島おきのしま)” の例文
隠岐島おきのしまの東郷という村では、昔この浜の人が釣りをしていると、魚は釣れずに握り拳ほどの石を一つ釣り上げました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
隠岐島おきのしまにてはきつねがおらぬから狐きの話はないが、その代わりに猫憑きということがある。余はその地に遊んだとき、実際聞くところによるに、猫憑き談の多きは島後と申す方である。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
日西天ニ没スとあるは、みかど隠岐島おきのしまへ御遷幸せんこうましまされた、この一事を指しておられるのであろう。三百七十余日とあるからには、明年のその頃に都へ御還幸、御位に復されるやも計られぬ。
赤坂城の謀略 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
家隆や源家長が第一それで、藤原秀能ひでよしなども出家して如願にょがんといっていた。隠岐島おきのしまで『遠島御歌合えんとうおんうたあわせ』のお企てのあったときも家隆が万事斡旋あっせんして、歌をまとめてお送りしたが、定家は加らなかった。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
こういう不吉な名が出来たのにも理由があったらしいことは、隠岐島おきのしまの一部または瀬戸内海の島で、この草をソウレバナというのを見ても察せられる。
隠岐島おきのしま海士村あまむらなどでは、この日の祈願にさきだって、浜の小石を千個だけひろいよせて、めいめいがそれを一つずつ手に持って、お参りしては拝殿はいでんに置いてくるそうである。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
昭和八年の五月、私は始めて隠岐島おきのしまに渡ってみた。西郷さいごうの町に逗留とうりゅうしていた際に、宿の近くの大社教の分院に何か祝い事があって、島名物の村相撲むらずもうが、大層な景気で村々から乗り込んできた。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
関東地方でも、千葉県などではコジャという言葉がひろくもちいられ、中国地方も隠岐島おきのしまなどは、田植の日の午前のバサマを小茶こちゃ、午後に昼寝ひるねをして起きて食べるのを、小茶おちゃともいっている。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)