救い粥の状況を一巡見て、館へ帰ると、彼は、いつになく、疲労の色をたたえていた。今暁、一睡はしているのに、なぜかひどく気力がふるわない。
そんなにされながらもはや生への執著も後に残る心配もなく、あすのおやつの果物の注文や好物のあずき粥のことなど考えながらこの世を去ってゆく母は。
あくる朝は七草粥を祝って、半七は出がけに八丁堀同心の宅へ顔を出すと、世間がこのごろ物騒がしいに就いて火付盗賊改めが一層厳重になった、その積りで精々御用を勤めろという注意があった。
以後数日、丹波の山間より神戸地方を遍歴、ふたたび京都に帰り、東映にて撮影中の「宮本武蔵」の進行ぶりを見、その朝、裏千家にて朝粥の馳走を受け、同日帰京。