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箕作
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みつくり
ふりがな文庫
“
箕作
(
みつくり
)” の例文
観音寺、
箕作
(
みつくり
)
の両城は、尠なくも、一ヵ月はきっと支え得る。そのまに松永三好の軍勢やら、湖北の味方が、信長の退路を断つ。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
松木
(
まつき
)
も
箕作
(
みつくり
)
も私に
意気地
(
いくじ
)
がないと
云
(
いっ
)
て
頻
(
しき
)
りに
冷
(
ひや
)
かすけれども、
持
(
もっ
)
て生れた性質は仕方がない、生涯これで死ぬことでしょう。
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
箕作
(
みつくり
)
〔佳吉〕学長は私に「君の給料も上げてやりたいが、松村君を差置いてはできない」といわれた。
牧野富太郎自叙伝:01 第一部 牧野富太郎自叙伝
(新字新仮名)
/
牧野富太郎
(著)
先日
箕作
(
みつくり
)
教授と一緒に大学の構内から出て来ると、小使の一人が丁寧にお辞儀をして行き過ぎた。
日本その日その日:03 日本その日その日
(新字新仮名)
/
エドワード・シルヴェスター・モース
(著)
ドウだ
迚
(
とて
)
も幕府の
一手持
(
いってもち
)
は
六
(
むず
)
かしい、
先
(
ま
)
ず諸大名を集めて
独逸
(
ドイツ
)
聯邦
(
れんぽう
)
のようにしては
如何
(
いかん
)
と云うに、
松木
(
まつき
)
も
箕作
(
みつくり
)
も、マアそんな事が穏かだろうと
云
(
い
)
う。
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
▼ もっと見る
近江へ突入して、観音寺や
箕作
(
みつくり
)
へ攻めかかったのが十二日。——そして二十五日にはもう信長の軍は、戦後の始末から
領政
(
りょうせい
)
の布告まですべてをすまして
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
英語もすこし忘れ、まごつくと
吃
(
ども
)
った。翌朝博物館へ行って見ると、加藤総理の部屋に数名の日本人教授が私を待っていてくれた。菊池、
箕作
(
みつくり
)
、矢田部、外山の諸教授と、服部副総理がそれである。
日本その日その日:03 日本その日その日
(新字新仮名)
/
エドワード・シルヴェスター・モース
(著)
或
(
ある
)
時に隠居が私と
箕作
(
みつくり
)
を呼んで、ドウじゃい、お前さん方は幕府に雇われて勤めて居るけれども、
馬鹿々々
(
ばかばか
)
しい
止
(
よ
)
しなさい、ソレよりか上方に
行
(
いっ
)
て御覧。
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
和田山の塁、
箕作
(
みつくり
)
の出城、十八ヵ所の要害も、この急激な怒濤のまえには、何の防ぎにもならなかった。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“箕作”の解説
箕作(みつくり)は、日本において、箕(み)をつくることを生業とした者の総称である。補修を行う者を箕直(みなおし)と呼ぶ。
(出典:Wikipedia)
箕
漢検準1級
部首:⽵
14画
作
常用漢字
小2
部首:⼈
7画
“箕作”で始まる語句
箕作阮甫
箕作秋坪
箕作城
箕作麟祥
箕作元八
箕作城落去