碑碣ひけつ)” の例文
導かれて行くにいまだ一周忌にも到らざれば、冢土ちょうど新にしていまだ碑碣ひけつを建てず。かたわらなるはは某氏の墓前に香華を手向たむけて蓮久寺を出づ。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
わたくしはさきに寺僧のことを聞いた時、壽阿彌が幸にして盛世碑碣ひけつやくを免れたことを喜んだ。然るに當時寺僧は實を以てわたくしに告げなかつたのである。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
かかる古碑碣ひけつの美はただ眼福として朝夕之に親しみ、書の淵源を探るみちとして之を究めるのがいいのである。
書について (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
享年七十七。牛込原町三丁目専念寺に葬った。大正三年四月に至ってその孫及び有志の人が碑碣ひけつを郷里なる大藤村慈雲寺先塋せんえいの側に建てたという。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
また嶺松寺という寺号をも忘れていた。それゆえわたくしに答えた書に常泉寺のかたわらしるしたのである。ここにおいてかつて親しく嶺松寺ちゅう碑碣ひけつた人が三人になった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
漢魏六朝の碑碣ひけつの美はまことに深淵のように怖ろしく、又実にゆたかに意匠の妙を尽している。
書について (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
朱塗しゅぬり不動堂ふどうどうは幸にして震災を免れしかど、境内の碑碣ひけつは悉くいづこにか運び去られて、懸崖の上には三層の西洋づくり東豊山とうほうざんの眺望を遮断しゃだんしたり。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)