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相摸国
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さがみのくに
相摸国足柄上郡三久留部氏は、元来
三廻部名に居た為に称した家名で、又
釈迦牟尼仏とも書いて、訓は地名・家名の通りである。
香以は
相摸国高座郡藤沢の清浄光寺の
遊行上人から、
許多の阿弥号を受けて、自ら寿阿弥と称し、次でこれを
河竹其水に譲って
梅阿弥と称し、その後また方阿弥と改め
だんだん
伺って
見ると、
数限りもない
御一
代中で、
最大の
御危難といえば、
矢張り、あの
相摸国での
焼打だったと
申すことでございます。
姫はその
時の
模様丈は
割合にくわしく
物語られました。——