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百濟
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くだら
ふりがな文庫
“
百濟
(
くだら
)” の例文
新字:
百済
また
百濟
(
くだら
)
の國王
照古王
(
しようこおう
)
が
牡馬
(
おうま
)
一疋・
牝馬
(
めうま
)
一疋をアチキシに付けて
貢
(
たてまつ
)
りました。このアチキシは
阿直
(
あち
)
の
史等
(
ふみひと
)
の祖先です。また大刀と大鏡とを貢りました。
古事記:03 現代語訳 古事記
(旧字新仮名)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
その
後
(
ご
)
、
南朝鮮
(
みなみちようせん
)
には
三韓
(
さんかん
)
といふ
小
(
ちひ
)
さい
國
(
くに
)
が
分立
(
ぶんりつ
)
しまして、その
内
(
うち
)
辰韓
(
しんかん
)
といふのが、
新羅
(
しらぎ
)
の
國
(
くに
)
になり、
弁韓
(
べんかん
)
は
日本
(
につぽん
)
の
植民地
(
しよくみんち
)
の
任那
(
みまな
)
になり、また
馬韓
(
ばかん
)
といふのが
百濟
(
くだら
)
になつたのであります。
博物館
(旧字旧仮名)
/
浜田青陵
(著)
百濟
(
くだら
)
緒琴
(
をごと
)
に、
齋
(
いは
)
ひ
瓮
(
べ
)
に、
彩畫
(
だみゑ
)
の
壁
(
かべ
)
に
白羊宮
(旧字旧仮名)
/
薄田泣菫
、
薄田淳介
(著)
かれここを以ちて、
新羅
(
しらぎ
)
の國をば、
御馬甘
(
みまかひ
)
と定めたまひ、
百濟
(
くだら
)
の國
一三
をば、
渡
(
わた
)
の
屯家
(
みやけ
)
一四
と定めたまひき。
古事記:02 校註 古事記
(その他)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
かような次第で新羅の國をば
馬飼
(
うまかい
)
とお定め遊ばされ、
百濟
(
くだら
)
の國をば
船渡
(
ふなわた
)
りの役所とお定めになりました。
古事記:03 現代語訳 古事記
(旧字新仮名)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
▼ もっと見る
この御世に、
海部
(
あまべ
)
・山部・山守部・伊勢部をお定めになりました。劒の池を作りました。また
新羅人
(
しらぎびと
)
が渡つて來ましたので、タケシウチの宿禰がこれを
率
(
ひき
)
いて堤の池に渡つて
百濟
(
くだら
)
の池を作りました。
古事記:03 現代語訳 古事記
(旧字新仮名)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
この御世に、
海部
(
あまべ
)
、
山部
(
やまべ
)
、
山守部
(
やまもりべ
)
、
伊勢部
(
いせべ
)
一
を定めたまひき。また劒の池
二
を作りき。また
新羅人
(
しらぎひと
)
まゐ渡り來つ。ここを以ちて建内の宿禰の命、引き
率
(
ゐ
)
て、堤の池に渡りて
三
、
百濟
(
くだら
)
の池
四
を作りき。
古事記:02 校註 古事記
(その他)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
“百濟(
百済
)”の解説
百済(くだら/ひゃくさい、朝鮮語:백제〈ペクチェ〉、旧字体:百濟、4世紀前半? - 660年)は、古代の朝鮮半島西部、および南西部にあった国家。当時の朝鮮半島には、百済の他に、北部から満洲地方にかけて高句麗が、南東部に新羅が、南部には伽耶諸国がそれぞれ存在しており、朝鮮史の時代区分では三国時代と呼ばれている。
(出典:Wikipedia)
百
常用漢字
小1
部首:⽩
6画
濟
部首:⽔
17画
“百濟”で始まる語句
百濟物
百濟緒琴