田部たべ)” の例文
また櫻井の田部たべの連の祖先そせんのシマタリネの女のイトヰ姫と結婚してお生みになつた御子はハヤブサワケの命お一方です。
そこで田地を耕作する農民はすなわち「田部たべ」であります。その「たべ」が訛って「ため」となる。上野こうずけに「田部井たべがい」と書いて、口には「ためがい」という所があります。
十四日、十五日も、逃げくずれる敵を追って、やなから田神たがみ田部たべ引田ひきたなどという部落部落を、残暑に乾ききっている夏草の野を、血しおで黒くするほど駈けくした。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
前の田部たべさんの六つになるお孃ちやんと仲よしのこの坂を下りたところの子供がね、母親に連れられて前の家に遊びに來ましたのよ、そしていつものやうに、友ちやん、遊ばない
滑川畔にて (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
また櫻井さくらゐ田部たべむらじの祖、島垂根しまたりねが女、糸井いとゐ比賣に娶ひて、生みませる御子、速總別はやぶさわけの命一柱。
また我が国語で、人民のことを「たみ」というのも同じ意味でありまして、「たみ」はすなわち「田部たべ」の義でありましょう。昔はそれぞれに職業に依って団体をなし、それを「」と申す。
この御世に田部たべを定め、またあづまあは水門みなと一〇を定め、またかしはで大伴部おほともべを定め、またやまと屯家みやけ一一を定めたまひ、また坂手さかての池一二を作りて、すなはちその堤に竹を植ゑしめたまひき。