海禅寺かいぜんじ)” の例文
会場は下谷の海禅寺かいぜんじ合羽橋かっぱばし側)、東本願寺等であった。この会は二、三回続きましたが、美術思想を一般に普及した功は多大でありました。
想えば去年の六月、海禅寺かいぜんじで、あの天文学者の婦人がマコレー師と共に老師を尋ねたとき、あれが老師病臥前にゆっくり御話を承った最後なのである。
吾妻橋あずまばしを渡って田原町たわらまちから東本願寺へ突当つきあたって右に曲り、それから裏手へまいり、反圃たんぼ海禅寺かいぜんじの前を通りまして山崎町やまざきちょうへ出まして、上野の山内さんないを抜け、谷中門へ出て
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
けれども是も仕方がないから、まきなさるがい、私は本庄宿ほんじょうじゅく海禅寺かいぜんじへ寄って一寸ちょっと玄道という者に会って、それから又美濃まで是非きますから御一緒にまいろう
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
それから上野の車坂くるまざかの方へ真直に合羽橋かっぱばしを渡ると、右角が海禅寺かいぜんじ(これは阿波あわ様のお寺)、二丁ほど行くと、右側が東明寺で、左が源空寺……すなわち源空寺門前の父の家のある所で、私は久しぶり