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正儀
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まさのり
ふりがな文庫
“
正儀
(
まさのり
)” の例文
二十余年を積んで良人に恥じぬ若人と育てあげた正行と正時を、還らぬ戦場へ送ってからは、
正儀
(
まさのり
)
には、母の
年輪
(
としわ
)
が改めてかぞえられた。
日本名婦伝:大楠公夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
一番目は楠
正儀
(
まさのり
)
と熊王丸とを取扱った史劇で、楠が青柳、熊王が川上、侍女千代野が藤沢という役割であったが、これまで「
板垣君遭難実記
(
いたがきくんそうなんじっき
)
」
明治劇談 ランプの下にて
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
さてそれから今の楠
正儀
(
まさのり
)
が世継ぎをいたし、私の親をまさしげが扱ってくれたと同じように大事に扱ってくれまして、互に頼みに思いながら暮していましたが、世間の噂では
三人法師
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
一方官軍は三軍を編成し、正行は弟の正時と共に第一軍を率い、次郎
正儀
(
まさのり
)
は東条に留守軍となって居た。吉野朝廷からは北畠親房が老躯を
提
(
ひっさ
)
げ、和泉に出馬し、堺にある師泰に対抗して居た。
四条畷の戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
「もう、多聞丸をかしらに、二郎(正時)、三郎丸(
正儀
(
まさのり
)
)。三人の母となりました。柿も実を持つはずでございまする」
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
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それから先は、楠木
正儀
(
まさのり
)
たちが守護して、ともかくお身だけは無事に
賀名生
(
あのう
)
へひきあげられたものの、なんと儚い京都還幸の希望だったことか。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
……奥では寝つかない三郎丸(
正儀
(
まさのり
)
)を寝かしつけている乳母の歌う子守唄が
河内訛
(
かわちなま
)
りをおびてあわれに洩れてくる。
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
たちまち、次男の正時、三男の三郎丸(
正儀
(
まさのり
)
)。それに卯木の子の、まだ四ツでしかない観世丸までが、一しょになって彼の足もとにからまって来た。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そして正行が亡いあとは、正行の弟
正儀
(
まさのり
)
を起用し、さらに次の楠木家を負って
起
(
た
)
たせた。しかし正儀は以来もう親房のいうことには従わなくなっていた。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
伊勢の北畠
顕能
(
あきよし
)
の軍は大和の五条に着き、楠木
正儀
(
まさのり
)
は東条に拠って、
八幡
(
やわた
)
、天王寺あたりの動きもただではない。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
正儀
(
まさのり
)
も
咽
(
むせ
)
び泣き、彼の母も、ほかに従者や幼い者がいなかったせいか、いつになくしばしば袖口を
瞼
(
まぶた
)
にあてた。
日本名婦伝:大楠公夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
正儀
(
まさのり
)
、正秀、正平、留守の兄弟たちも、
俯向
(
うつむ
)
きがちに母に従って来た。従者や老臣は涙を拭うていたが、
久子
(
ひさこ
)
の面にも、兄弟たちの眼にも、涙はなかった。
日本名婦伝:大楠公夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「正行は勉強部屋、そっとしておけ。また正時や三郎丸(
正儀
(
まさのり
)
)もさっきから大庭のすみで、
独楽
(
こま
)
遊びに無心のようだ。あれもそのままがよい、そのままが」
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そして、楠公夫人が、なお遺る幼児をいだき、三男の
正儀
(
まさのり
)
に父の遺訓をつたえて、孤軍のなかに、忠節と貞節の生涯を
完
(
まっと
)
うした事など、次々と話して
倦
(
う
)
まなかった。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
正
常用漢字
小1
部首:⽌
5画
儀
常用漢字
中学
部首:⼈
15画
“正儀”で始まる語句
正儀朝臣