曹丕そうひ)” の例文
曹操の嫡子曹丕そうひは、この時年十八で、父の戦に参加していたが、敵の本城が陥るとすぐ随身の兵をつれて城門の内へ入ろうとした。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「わが世子たりとも軍法をみだすにおいては、断乎だんこ免じ難い。荀攸じゅんゆう郭嘉かくか、其方どもはすぐ曹丕そうひを召捕ってこい。斬らねばならん」
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「呉は魏へ急遽援軍を求めたらしいが、魏はただ呉王の位を孫権へ贈ったのみで、曹丕そうひの態度は依然、中立を固持しています」
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(明日、長男の曹丕そうひと、三男の曹子建とを、鄴城ぎょうじょうへ招き呼ぶが、ふたりが城門へ来たら、決して通すな)といいつけておいた。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひとたびは曹丕そうひの信寵もうけたが、曹丕歿後、新帝曹叡そうえいの代になってからは、ほとんど顧みられなくなり、近頃はことに、何かにつけ、軽んじられ
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
四男の曹熊そうゆうは多病だし、次男の曹彰は勇猛だが経世の才に乏しい。で、彼が後事を託するに足るとしていたのは、やはり長男の曹丕そうひでしかなかった。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして彼の消極戦術の非を鳴らし、もし自分に一軍をかすならば江北へ押し渡って、魏帝曹丕そうひ首級しるしをあげて見せる。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
兄の曹丕そうひと共に鄴城ぎょうじょうへとどめて、約三年にわたる破壊と建設の一切を完了し、兵雲悠々ゆうゆうと許都へひきあげた。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曹丕そうひ曹彰そうしょう曹植そうしょく曹熊そうゆうの順だ。けれども大妻てい夫人の子ではなかった。側室から出た者ばかりである。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
孔明が南蛮なんばんに遠征する以前、魏の曹丕そうひが大船艦を建造して呉への侵寇しんこうを企てた以前において、かの鄧芝とうしを使いとして、呉に修交を求め、呉も張蘊ちょううんを答礼によこして
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曹丕そうひは、門でこばまれた。兵隊たちに峻拒しゅんきょされて、やむなく後へ帰ってしまった。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)