春暉しゆんき)” の例文
又西国の山に人の作りたるやうなるひきうすかたちの石を産する所ありと春暉しゆんき随筆ずゐひつにて見たる事ありき、今その所をおもひいださず。
同遊六人の僧俗中先づ死んだのは六如りくによである。享和元年三月十日に寂したから、二十四年前である。次は所謂橘恵風きつけいふうである。宮川春暉しゆんきあざなは恵風、橘姓、南谿と号した。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
又西国の山に人の作りたるやうなるひきうすかたちの石を産する所ありと春暉しゆんき随筆ずゐひつにて見たる事ありき、今その所をおもひいださず。
此文段は天明年中蔵石ざうせきの世に流行はやりたる頃加嶋屋がはなしをそのまゝに春暉しゆんきのちにしるしたるなるべし。
此文段は天明年中蔵石ざうせきの世に流行はやりたる頃加嶋屋がはなしをそのまゝに春暉しゆんきのちにしるしたるなるべし。
筑紫つくしのしらぬ火といふは古哥にもあまたよみて、むかしよりその名たかくあまねく人のしる所なり。そのもゆるさまは春暉しゆんき西遊記さいいうき*12にしらぬ火をたりとて、つまびらかにしるせり。
筑紫つくしのしらぬ火といふは古哥にもあまたよみて、むかしよりその名たかくあまねく人のしる所なり。そのもゆるさまは春暉しゆんき西遊記さいいうき*12にしらぬ火をたりとて、つまびらかにしるせり。