慶応義塾けいおうぎじゅく)” の例文
と、はらをたてましたが、その宋太郎そうたろうも、自分じぶんのわるかったことをさとって、諭吉ゆきちにあやまり、やがて慶応義塾けいおうぎじゅくにはいってきました。
慶応義塾けいおうぎじゅくはこのころ、弟子いよいよすすみ、その数すでに数百に達し、また旧日のにあらず。或夜あるよ神明社しんめいしゃほとりより失火し、予が門前もんぜんまで延焼えんしょうせり。
元来酒をたしなまざれば従つて日頃悪食あくじきせし覚えもなし。ひて罪を他に負はしむれば慶応義塾けいおうぎじゅくにて取寄する弁当の洋食にあてられしがためともいはんか。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
慶応義塾けいおうぎじゅくだけが、西洋せいようのあたらしい学間がくもんをおしえていたわけです。そこで、生徒せいとかずも、二百にん、三百にんをかぞえるようになりました。
仕方がないので重吉は玉子と共に四谷の大通おおどおりへ出て、やっと歯医者をさがし、再び診察してもらうと、今度はいよいよ重症ということで、歯科医が附添って慶応義塾けいおうぎじゅくの病院へ患者を送った。
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
慶応義塾けいおうぎじゅくをひらいた諭吉ゆきちは、しだいにひょうばんのまとになってきたので、ごろから、けいかいをしていたわけでした。
友人久米くめ君から突然有馬の屋敷跡には名高い猫騒動の古塚ふるづかが今だに残っているという事だから尋ねて見たらばと注意されて、私は慶応義塾けいおうぎじゅくの帰りがけ始めて久米君とこの閑地へ日和下駄を踏入ふみいれた。