幸子さちこ)” の例文
幸子さちこは、しばらくたつて泣きやんで歸つて來るが、靜かに起き上つてゐる多緒子の顏を見ると、急に堪へがたいやうに泣き立てた。
(旧字旧仮名) / 素木しづ(著)
それよりも辛抱のならない女客があることがいやだった。それは、泡鳴氏の先妻幸子さちこだ。三年前から別居しているという彼女は、冷やかな調子で
遠藤(岩野)清子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
此年文政三年冬の半に、蘭軒の姉幾勢きせが記念すべき事に遭遇した。仕ふる所の黒田家未亡人幸子さちこが、十一月二十四日に六十三歳で歿したのである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
新太郎は本来ブウリー新太郎とでも名乗るべきですが、ブウリーは新太郎の少年の頃日本に帰化し、姓も大川おおかわと改めておったので、新太郎の娘の幸子さちこは、即ち大川幸子なのです
偉大なる夢 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
十七日の朝蘆屋あしやへ訪ねて来た陣場夫人は、一昨日無理をしたために幸子さちこが又ていると聞くと、さすがに今度は恐縮しながら、三十分ほどまくらもとで話して帰ったが、要するに
細雪:01 上巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
多緒子は、その日の夕方ゆふがた幸子さちこと共に夫につれられて病院に行つた。夫のたかしは別室に入つて醫者としばらく話をしてゐた。
(旧字旧仮名) / 素木しづ(著)
夫人名は亀子、後幸子さちこと改む、越後国高田の城主榊原式部大輔政永のぢよで、当時二十一歳であつた。治之は筑前守継高の養子で、明和六年十二月十日に家を継いだのである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
雪子の縁談と云えばいつも幸子さちこが聞き込んで東京の方へ知らせてやるのが恒例のようになっており、本家の夫婦は義兄が一度手を焼いてからついぞ積極的に心配しようとはしなかったのに
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
幸子さちこや。』と漸く咳の出さうな咽喉をおさへて、半ばかすれたやうな聲で出來るだけ大きく聞えるやうにと叫んだ。
(旧字旧仮名) / 素木しづ(著)
幸子さちこは去年黄疸おうだんわずらってから、ときどき白眼しろめの色を気にして鏡をのぞき込む癖がついたが、あれから一年目で、今年も庭の平戸の花が盛りの時期を通り越して、よごれて来る季節になっていた。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
と、幸子さちこはきいた。
細雪:01 上巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)