小舎人こどねり)” の例文
そこでなお、意地わるく、時の人びとは、かれらをよぶに、雑色ぞうしきだの、中間ちゅうげんだの、小舎人こどねりなどといい分ける代りに、ヘイライさんと、総称していた。
でも公事にかれてはそのままには済まされぬので、保胤の面目めんぼくさ、人々の厄介千万さも、御用の進行の大切だいじに押流されて了って人々に世話を焼かれて、御くらの小舎人こどねりとかに帯を借りて
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
近衛このえ殿老女村岡、御蔵おくら小舎人こどねり山科やましな出雲、三条殿家来丹羽豊前ぶぜん、一条殿家来若松もく、久我殿家来春日讃岐さぬき、三条殿家来森寺困幡いなば、一条殿家来入江雅楽うた、大覚寺門跡もんぜき六物ろくぶつ空万くうまん、三条殿家来富田織部。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
「菊王は、後宇多の院の侍者、寿王冠者の弟とやら。——そして、とくより日野殿の内に小舎人こどねりとして飼われおる者とは、かねがね聞き及ぶところにござりまする」
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その頃流行った“えびすくい小舎人こどねり”は後のどじょうすくいだし、遊女や白拍子のする“屏風隠れ”も“住吉拳すみよしけん”も、また男の赤裸趣味や社交性とひとしく、数百年の変化もない。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)