大江匡房おおえのまさふさ)” の例文
かの有名な兵学者大江匡房おおえのまさふさは家の祖である。大江家伝襲でんしゅう六韜りくとう孫子そんしなどの兵書やら外来の蔵書が、彼の手に移っていたとしてもふしぎはない。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ちょうどそのとき、このお屋敷やしきにその時分じぶん学者がくしゃ名高なだかかった大江匡房おおえのまさふさという人が来合きあわせていて、やはり感心かんしんしていていましたが、かえりがけに一言ひとこと
八幡太郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
これには主上も驚かれて、かねて頼豪とは師弟関係を結んでいた、大江匡房おおえのまさふさを呼んで、頼豪を説得するように頼んだ。
唐の弘法寺ぐほうじの僧の釈迦才しゃくかさいの浄土論中に、安楽往生者二十人を記したのにならったものであるが、保胤往生の後、大江匡房おおえのまさふさは又保胤の往生伝の先蹤せんしょうを追うて、続本朝往生伝をせんしている。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
鳥羽院の時、白山平泉寺はくさんへいせんじを比叡山が、しきりに欲しがったことがあった。余り無理な願いであったから、あわや、却下と思われたが、大江匡房おおえのまさふさが、法皇をいさめて
大江匡房おおえのまさふさが記している狐の大饗だいきょうの事は堀河天皇の康和三年である。
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)