大宮司だいぐうじ)” の例文
「肥後の菊池武敏、阿蘇あそ大宮司だいぐうじ惟直これなおなどの宮方が、太宰府の手うすを知って、水木の渡しをこえ、俄に、大軍をッて太宰府へ急進中——」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今は松尾大宮司だいぐうじとして京都と東京の間をよく往復するという先輩師岡正胤を中津川の方に迎え、その人を中心に東濃地方同門の四、五人の旧知のものが小集を催した時の記念である。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
常陸国誌ひたちこくし』のしるすところに依れば、鹿島事触ははやく現われ、すでに寛文かんぶん十年(一六七〇)という年に、寺社奉行は大宮司だいぐうじ則教の申立もうしたてに基づいて、彼らの業務を祈祷きとうと札配りとに限定し
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
と覚悟して、日ごろの盟友、阿蘇あそ大宮司だいぐうじ惟直これなおともしめしあわせ、まず彼のみ家の子郎党三百余騎をつれて、博多へ出た。そしておきはまに宿営した。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
松尾大宮司だいぐうじとして京都と東京の間をよく往復するという先輩師岡正胤もろおかまさたね美濃みのの中津川の方に迎えた時のことを思い出し、その小集の席上で同門の人たちが思い思いに歌をしるしつけた扇を思い出し
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「ひとまず宗像ノ大宮司だいぐうじをたのんで行こう。先触さきぶれには、南遠江守、曾我そがノ左衛門の両名駈けろ。……もし大宮司に二の足がみえたらすぐ戻って来い。攻め破って通るまで」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
異母兄あに頼朝の母君は、名古屋のほとりとかいう、熱田の宮の大宮司だいぐうじ、藤原季範すえのりむすめにおしたとか聞いておる。——さすれば亡父ちち義朝とも、源家の一族とも、ご縁は浅からぬお宮ではないか」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)