トップ
>
堂衆
>
どうしゅう
ふりがな文庫
“
堂衆
(
どうしゅう
)” の例文
この叡山には、三千の学僧と、なお、僧籍のない荒法師やら
堂衆
(
どうしゅう
)
やら、世間を逃げてきた者たちが、随分と、一時の方便で、身を
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
叡山
(
えいざん
)
あたりでは、
中間僧
(
ちゅうげんそう
)
や、
堂衆
(
どうしゅう
)
をこきつかって、
据膳
(
すえぜん
)
下げ膳で
朝夕
(
ちょうせき
)
すんでいるか知らんが、当寺の
学生寮
(
がくしょうりょう
)
では、そんな惰弱な生活はゆるさん。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いまは
罷
(
や
)
めたが、
検非違使
(
けびいし
)
をしていた
源
(
みなもと
)
ノ
為義
(
ためよし
)
。知ってるだろう。
大治
(
たいじ
)
五年、あの人が、
延暦寺
(
えんりゃくじ
)
堂衆
(
どうしゅう
)
の鎮圧にのり出したとき、四白の
栗毛
(
くりげ
)
にのっていた。
相模栗毛
(
さがみくりげ
)
とよんで、人も知るかれの愛馬だ。
新・平家物語:02 ちげぐさの巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いやまだ、そのほかにも、寺中の老幼、
稚子
(
ちご
)
、
堂衆
(
どうしゅう
)
まで、ひと目に数えても百五十人に近かろうと思われる人々が、恐ろしげに、幼きは老いたる者へ、老いたるは若者へ、抱き合ったまま
竦
(
すく
)
んでいた。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
すると、
実相院
(
じっそういん
)
の
朱王房
(
しゅおうぼう
)
という若い
堂衆
(
どうしゅう
)
がいった。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“堂衆(
衆徒
)”の解説
衆徒(しゅと)は、堂衆(どうしゅ/どうしゅう)とも呼ばれ、本来は平安時代以後に大寺院に居住して学問・修行の他に寺内の運営実務にあたった僧侶身分のこと。大衆の主力であり、衆徒のみを指して「大衆」と呼ぶ場合もある。特に興福寺が守護職を務めた大和国では、国内の武士を自寺の衆徒として組み入れたために同国の武士(大和武士(やまとぶし))を指して衆徒と呼ぶ場合もある。
(出典:Wikipedia)
堂
常用漢字
小5
部首:⼟
11画
衆
常用漢字
小6
部首:⾎
12画
“堂”で始まる語句
堂
堂宇
堂守
堂々
堂上
堂島
堂上方
堂塔
堂宮
堂摺連