判官贔屓ほうがんびいき)” の例文
けだし、この年配としごろの人数ひとかずには漏れない、判官贔屓ほうがんびいきが、その古跡を、取散らすまい、犯すまいとしたのであった——
瓜の涙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
判官贔屓ほうがんびいき”という語がある。いま始まったことではない。鎌倉末期、足利時代からすでにそれはあったようだ。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのために判官贔屓ほうがんびいきに陥って、パデレフスキーを無視したり、ラフマニノフを憎んだりしたことさえあった。これらの大家たちは、コルトーと、あまりにも傾向が違っていたからである。
世には判官贔屓ほうがんびいきという言葉があるといって、よく、義経の悲劇的美化や同情に反駁はんばくする者もあるが、しかし、頼朝もずいぶん依怙贔屓えこひいきの強い方の人である。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三の散佚さんいつはあろうが、言うまでもなく、堂の内壁ないへきにめぐらしたやつの棚に満ちて、二代基衡もとひらのこの一切経いっさいきょう、一代清衡きよひら金銀泥一行きんぎんでいいちぎょうまぜがきの一切経、ならび判官贔屓ほうがんびいきの第一人者、三代秀衡ひでひら老雄の奉納した
七宝の柱 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)