全善かねよし)” の例文
渋江恒善つねよしは抽斎全善かねよしの長男である。榛軒門人録には「渋江道陸」として載せてある。塾生であつた。性謹厚にして、人の嬉笑するを見ては顰蹙して避けた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
抽斎は平姓へいせいで、小字おさなな恒吉つねきちといった。人と成ったのちの名は全善かねよしあざな道純どうじゅん、また子良しりょうである。そして道純を以て通称とした。その号抽斎の抽字は、もとちゅうに作った。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
渋江氏で此年蘭門の高足であつた抽斎全善かねよしが五十四歳で歿した。流行の暴瀉ばうしやに罹つて、八月二十九日に瞑したのである。柏軒は抽斎の病み臥してよりとこかたはらを離れなかつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「三月十六日与狩谷少卿、渋江子長、森立夫及児重、同遊墨水。途中遇雨。」少卿は棭斎の子懐之くわいしである。子長しちやうは抽斎全善かねよし立夫りつふ枳園立之きゑんりつし、並に年少の門人である。ちようは三男柏軒である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)