世臣せいしん)” の例文
信政は幕府の菓子師大久保主水元苗もんどもとたねむすめ伊佐いさめとつた。菓子師大久保主水は徳川家の世臣せいしん大久保氏の支流である。しかし大久保氏の家世は諸書記載を異にしてゐて、今にはかに論定し難い。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
約言すれば理においては、水戸皇家と最も関係を有し、情においては、毛利皇家と最も関係を有す。松陰が毛利氏の世臣せいしんたることは、彼の生涯において、浅からぬ感化あるを疑うべからず。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
これは藩主にして、彼は世臣せいしんの相違はあれども、薩長二藩の関原以来蓄積したる活力を擢揮てっきし、大勢の趨向すうこう指点してんし、時艱じかんすくうの人物を鼓動したるは、実に二人先導の功に帰せざるを得ず。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
吉田松陰は、関原せきがはらの役において、西軍の殿将として、大坂を守り、徳川氏に向って弓をける、毛利家の世臣せいしんなり。彼は杉氏の子、出でて叔父吉田氏をぎ、禄五十七石をむ。彼はもとより微禄の士。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)