三戸さんのへ)” の例文
上北郡十和田村では、昭和六年十一月、七百戸全戸に病人があり、三戸さんのへ郡猿辺村では三百戸全戸に二百五十の病人があると帝国農会報は伝えている。
(1)糠部郡は、いまの陸奥、陸中の二国に跨がった二戸にのへ三戸さんのへ九戸くのへの郡辺の総称である。昔ここに長者があった。
東奥異聞 (新字新仮名) / 佐々木喜善(著)
石本俊吉は今八戸はちのへ(青森縣三戸さんのへ郡)から來た。然し故郷はズット南の靜岡縣である。土地で中等の生活をして居る農家に生れて、兄が一人妹が一人あつた。
雲は天才である (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
南部の方でも三戸さんのへ郡の荒沢不動に、山男の使った木臼きうすが伝わっていることを『糠部五郡小史ぬかのぶごぐんしょうし』には録している。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
産馬の方では、佐々木四郎高綱の、宇治川の先陣のときの池月いけづき(生※)の話が最も有名でありますが、池月と並び称されている磨墨するすみもまた、南部三戸さんのへの産だったということであります。
昭和八年は余寒がきわめて厳しく、一面氷で閉ざれていたので、その氷を割ってウグイをとっていたが、津浪の前にはまるでとれなくなった(青森県三戸さんのへ田面木たのもぎ小学校長小井川潤次郎氏報)
地震なまず (新字新仮名) / 武者金吉(著)
高田家と工藤家——私の家——とは、小身ではあつたが、南部初代の殿様が甲斐の国から三戸さんのへの城に移つた、其時からの家臣なさうで、随分古くから縁籍の関係があつた。
刑余の叔父 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
それから川尻角浜ときて、馬の食べつくした広い芝原の中を、くねり流れる小さな谷地やち川が、九戸くのへ三戸さんのへ二郡の郡境であった。青森県の月夜では、私はまた別様の踊りに出遭った。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
三戸さんのへ郡などの狭い区域に限られるもののようにいうのは誤りで(旅と伝説九巻四号)、土地によって少しずつ名称がちがっているのである。秋田県の南部に来るとこれをトンブリという。
食料名彙 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
三戸さんのへ郡の村々では、ヌサといっても通ずるが、あるいはこれはヒサゲトシナという家もある。トシナは年縄で、東京でいう注連縄しめなわのことを意味し、ヒサゲは手に持って提げることである。
鹿角かづの郡案内』という書には、秋田出身の一新聞記者、三戸さんのへ郡から鹿角を越えて帰省する途中、湯瀬ゆのせ温泉附近の小山の嶺に休んで酒を飲み、次のような俗謡をうたったことが記してある。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
これと全然似た言い伝えは、また三戸さんのへ郡の櫛引くしびき村にもあった。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)