“還”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
かえ62.1%
かへ26.4%
また2.8%
マタ1.2%
めぐ0.9%
カヘ0.9%
0.6%
うつ0.6%
0.6%
もど0.6%
けえ0.3%
おかえ0.3%
かえり0.3%
かへつ0.3%
かへり0.3%
がへ0.3%
くわん0.3%
げえ0.3%
げん0.3%
カエ0.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
ただ人情は妙なものでこの軍曹が浩さんの代りに旅順で戦死して、浩さんがこの軍曹の代りに無事でかえって来たらさぞ結構であろう。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
よ、かしらなきむくろ金鎧きんがい一縮いつしゆくしてほこよこたへ、片手かたてげつゝうままたがり、砂煙すなけむりはらつてトツ/\とぢんかへる。陣中ぢんちうあにおどろかざらんや。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
汝かの犢をねぶって毒を取り去るか、それがいやならこの火に投身せよと言うと蛇答えて、彼この毒を吐いた上はまたこれを収めず
東坡之を用ひて云ふ、割愁マタ剣鋩山と。或は謂ふ、割愁腸と言ふべし、だ割愁と言ふ可からずと。亡兄仲高云ふ、晋の張望の詩に曰ふ、愁来不可割と、此れ割愁二字の出処なりと。
血のめぐりはあまり良くないにしても、こんなのは掛引がなくて、平次に取つて飛んだ役に立つのかも知れません。
話は、又逆になるが、仏も元は、凡夫のイツいた九州辺の常世神に過ぎなかつた。其が、公式の手続きを経てのカヘ新参シンザンが、欽明朝の事だと言ふのであらう。
妣が国へ・常世へ (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
シテ酒家ニ付セ使メズ/老後功名古暦ノ如シ/酔来顔色唐花ノごとシ/東風料峭トシテ天街遠ク/やまいシテタ下沢車ニル〕
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
我輩のうちと言ふのはね、もと飯山の藩士で、少年の時分から君侯の御側に勤めて、それから江戸表へ——丁度御維新ごいツしんに成る迄。考へて見れば時勢はうつり変つたものさねえ。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
歳は私よりとおばかり上だが、何分なにぶん気分が子供らしくて、ソコデ私を中津にえすような計略をめぐらしたのが、私の身には一大災難。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
ただワイワイとはたのやかましいのに、お光は悲しさも心細さも半ばまぎらされていたのであるが、寺からもどって、舅の新五郎も一まず佃の家へ帰るし
深川女房 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
お前にしてからが、俺のような一生世間師で果てようてえ者にくっついてくより、元の亭主の——ああいう辛抱人へけえった方が末始終すえしじゅうのためだぜ。
世間師 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
矢張やはり若い学生がお好きで、この小屋へ御立寄になり、おくつろぎにて居合せた人達をお相手にスキーのお話をなされ、おおかえりの節、其人達が缶詰のお残りなど拝領したき段おそるおそる願い出ると
その日、私は学校のいきかえりとに停車場前の通を横ぎって、真綿帽子やフランネルの布で頭を包んだ男だの、手拭てぬぐいかぶって両手をそでに隠した女だのの行き過ぎるのにった。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
二十錢の代價だいかふたゝきみかたはらかへつて來ること受合うけあひだと言ふ。
石清虚 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
ゆきには、なんにも、そんなやつなかつたんです。もつと大勢おほぜい人通ひとゞほりがありましたからかなかつたかもれません。かへり病院びやうゐん彼方あつちかどを、此方こつちまがると、其奴そいつ姿すがたがぽつねんとしてひとツ。
艶書 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
その次は坊主がへりで宗玄そうげんといふ四十男、イガ栗頭の大入道で、恐ろしい髯武者だが、不斷は深い笠を冠つてゐるから、容易に人相は見せない——これで四人でせう
銭形平次捕物控:239 群盗 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
〔評〕慶應けいおう三年九月、山内容堂ようだう公は寺村左膳さぜん、後藤しやう次郎を以て使となし、書を幕府にていす。曰ふ、中古以くわん政刑せいけい武門に出づ。
「尼さんげえりのきりょうなんか訊いてはしないよ」
木がげん照のなかから生えたつとき
春と修羅 第二集 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
長星チョウセイアリ、赤クシテボウ。東西ヨリ飛ンデ、孔明ノ軍営ニ投ジ、三タビ投ジテフタタビカエル。ソノ流レ来ルトキハ光芒コウボウ大ニシテ、還ルトキハ小サク、ソノウチ一星ハツイチテ還ラズ。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)