博多はかた)” の例文
髪結のおナツが、染奴の髪を結いながら、く。博多はかた生まれ、四十年配の、勝気らしい、色の浅黒い、眉毛のつりあがった女である。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
左方に博多はかたの海が青く展開するのを夢のようにながめて、なおも飲まず食わず、背後に人の足音を聞くたびに追手かときもをひやし
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
そのほかの人形は——きょう伏見ふしみ奈良なら博多はかた伊勢いせ秋田あきた山形やまがたなど、どなたも御存知のものばかりで、例の今戸焼いまどやきもたくさんあります。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そして自ら先に、黒頭巾を脱ぎすて黒衣くろごを解いて振り落とすと、下は常着のおはぐろつむぎ鶯茶うぐいすちゃ博多はかたかなんぞと見られる平帯。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
哥太寛こたいくわん餞別せんべつしました、金銀きんぎんづくりの脇差わきざしを、片手かたてに、」と、ひぢつたが、撓々たよ/\つて、むらさききれみだるゝまゝに、ゆる博多はかた伊達卷だてまきへ。
印度更紗 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
九州や壱岐いき対馬つしまの漁民まで、日本国中が一致団結して、元軍十万を、博多はかたの海に皆殺しにしてからこの方、日本人は海をおそれなくなった。
秘境の日輪旗 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
寛永九年六月十五日に、筑前國ちくぜんのくに福岡の城主黒田右衞門佐忠之うゑもんのすけたゞゆきの出した見廻役が、博多はかたつじだう町で怪しい風體の男を捕へた。
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
聞き終わるや同時に、ゆうぜんと立ちながら、シュッシュッと博多はかたのいきな茶献上をしごいていましたが、まことに胸のすくひとりごとでした。
氏は福岡県博多はかたの人で、同地よりの出品でした(米原氏も当時は安来に帰郷していて其所そこから軍鶏しゃもの彫刻を出品した)。
博多はかたの帶、越後上布ゑちごじやうふ單衣ひとへ、——どう見ても丁稚でつちや手代の風俗ではありませんが、仔細あつて、横山町の遠州屋の主人はツイ先頃非業ひごふの死を途げ
うらうらと燃える陽炎かげろうを背に、無造作な櫛巻くしまき、小弁慶こべんけいあわせに幅の狭い繻子しゅす博多はかたの腹合わせ帯を締めて、首と胸だけをこううしろへ振り向けたところ
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
大甕おおがめ、酒甕、捏鉢こねばち徳利とっくり花立はなたてつぼ、これが広っぱに山のように積んである。博多はかたあたりの町を歩いて必ず荒物屋にあるのは、皆ここから供給される。
北九州の窯 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
燁子としても、そんな無分別なことを果してしたものだろうか、本月末には博多はかたに帰って来る約束をしてある。
柳原燁子(白蓮) (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
この白茶しろちや博多はかたの帯は幼いわたしが締めた物である。わたしは脾弱ひよわい子供だつた。同時に又早熟な子供だつた。わたしの記憶には色の黒い童女の顔が浮んで来る。
わが散文詩 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
翌春はぎから博多はかたへ渡って薩藩亡命北条右門だの、平野国臣ひらのくにおみだの同志と逢い、帰京後京都の山口薫次郎、小泉仁左衛門にざえもん、松坂屋清兵衛、大和の豪家村島長兵衛父子
志士と経済 (新字新仮名) / 服部之総(著)
定紋じょうもんはなごま博多はかたの帯を締めて、朱微塵しゅみじん海老鞘えびざやの刀脇差わきざしをさし、羽織はおりはつけず、脚絆草鞋きゃはんわらじもつけず、この険しい道を、素足に下駄穿きでサッサッと登りつめて
博多はかたは芸人の多い処で三味線のうまい魚屋とか、踊のうまい酒屋とかいふのはザラにあります。
福岡の女 (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
お増は台所で体を拭くと、浴衣のうえに、細い博多はかた仕扱しごきを巻きつけて、角の氷屋から氷や水菓子などを取って来た。そして入口の板戸をぴったり締めて内へ入って来た。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
鼠色の御召縮緬おめしちりめんに黄柄茶の糸を以て細く小さく碁盤格子を織いだしたる上着、……帯は古風な本国織ほんごくおりに紺博多はかた独鈷とっこなし媚茶の二本筋を織たるとを腹合せに縫ひたるを結び
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
翌年あくるとし(明治四十二年)の春もなほ寒かりし頃かと覚えたりわれは既に国に帰りて父のいえにありき。上田先生一日いちにち鉄無地羽二重てつむじはぶたえ羽織はおり博多はかたの帯着流きながしにて突然おとづれ来給きたまへり。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
これと三人、落ち行く先は九州佐柄さがらを逆に、博多はかたへ出て、広島、岡山、大阪と探ねてきた。
相馬の仇討 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
紋羽二重もんはぶたえや、鼠縮緬ねずみちりめんの衣物——繻珍しゅちんの丸帯に、博多はかた繻子しゅすとの昼夜帯、——黒縮緬の羽織に、宝石入りの帯止め——長浜へ行った時買ったまま、しごきになっている白縮緬や
耽溺 (新字新仮名) / 岩野泡鳴(著)
あいひわ朽葉くちばなどかさなりあってしまになった縁をみれば女の子のしめる博多はかたの帯を思いだす。
小品四つ (新字新仮名) / 中勘助(著)
荒いしまの着物をぞろりと着流して、博多はかたの帯をわざと下の方へめたその色男は、素足に雪駄せった穿いているので、歩くたびにちゃらちゃらいう不愉快な音を岡本の耳に響かせた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それにしても外人ほかびとと違ッて文さんがお嫁をお貰いの事たから黙ッてもいられない、何かしら祝ッて上げなくッちゃアなるまいからッて、この頃じゃア、アノ博多はかたの帯をくけ直おさして
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
藍縦縞あいたてじま結城紬ゆうきつむぎの、仕立てのよいのをピチリと着け、帯は巾狭の一重博多はかた、水牛の筒に珊瑚の根締め、わに革の煙草入れを腰に差し、微笑を含んで話す様子が、途方もなくいきであった。
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
仏鑑禅師ぶつかんぜんじ(聖一国師とおくり名す、東福寺の開山国師号の始祖)博多はかたに住玉ひたるあとの地中より掘いだしたる石に 菅神のれい唐土もろこしへ渡り玉ひて経山寺きんざんじ無準禅師むじゆんぜんじに(聖一国師の師なり)法を
皮を引いたらあまり微塵みじんにせずに、葛もごくうすくねがいます。さて、……ちょうど、わらさの季節だから、削切けずりきりにして、前盛まえもりには針魚さより博多はかたづくりか烏賊いか霜降しもふり。つまみは花おろしでも……
顎十郎捕物帳:16 菊香水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
髪ばかりではない、女らしい耳でも、額つきでも、彼女は身内のものの誰よりも祖母さんに似ていた。博多はかたの帯のことから話が出て、節子は女としての自分を岸本に言って見せたこともあった。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
今日けふならではの花盛はなざかりに、上野うへのをはじめ墨田川すみだがはへかけて夫婦ふうふづれをたのしみ、隨分ずいぶんともかぎりの体裁ていさいをつくりて、つてきの一てう良人おつと黒紬くろつむぎもんつき羽織ばをり女房にようぼうたゞすぢ博多はかたおびしめて
われから (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
天皇は御年九十三歳、御陵は掖上の博多はかた山の上にあります。
願ふと云ふもしのなきことに他人に有ながら當家へ養子やうしに來た日よりあつ深切しんせつくして呉し支配人なる久八へ鳥渡成ちよつとなりとも書置かきおきせんとありあふすゞり引寄ひきよせて涙ながらに摺流すりながすみさへうすにしぞとふで命毛いのちげみじかくも漸々やう/\したゝをはりつゝふうじるのりよりのりみち心ながら締直しめなほす帶の博多はかたの一本獨鈷どつこ眞言しんごん成ねど祕密ひみつの爲細腕ほそうで成ども我一心長庵如き何の其いは
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
筑前国ではず大宰府天満宮に参詣さんけいして祈願を籠め、博多はかた、福岡に二日いて、豊前国小倉こくらから舟に乗って九州を離れた。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
聞けば、こんどの中国戦を聞きつけて、遠く九州の平戸ひらど博多はかたあたりから、多くの武器商人が入りこんでいたらしい。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
笛吹は、こまかい薩摩さつま紺絣こんがすり単衣ひとえに、かりものの扱帯しごきをしめていたのが、博多はかたを取って、きちんと貝の口にしめ直し、横縁の障子を開いて、御社おやしろに。
貝の穴に河童の居る事 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
列車は、博多はかたをすぎて、二日市ふつかいち駅着。下車した一行は、なお止まぬ雨のなかを、鉄道馬車で、武蔵むさし温泉へ向かった。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
机上の白い手が、無意識にもてあそぶのは、父の故郷に近い博多はかたみやげの、風雅な、ちいさな、一対の内裏雛だいりびな
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
歴史の古い博多はかたには面白い町が色々ありますが、とりわけ馬出町まいだしまちには眼を引かれます。そこには軒並に曲物細工まげものざいくの店が見られます。歴史は相当に古いようであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
湯川氏の家では不用になったはかまが商品に化けた。仙台平せんだいひら博多はかたの財袋がつくられて売られた。
旧聞日本橋:08 木魚の顔 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
父親は山の入った博多はかたの帯から、煙草入れを抜き出して、マッチをって傍で莨を喫った。お庄はひげの生えたその顎の骨の動くさまや、せた手容てつきなどを横目に眺めていた。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
見ると先刻さっき主人が書斎へ放り込んだ古毛布ふるげっとである。唐桟とうざん半纏はんてんに、御納戸おなんど博多はかたの帯を尻の上にむすんで、生白なまじろすねひざから下むき出しのまま今や片足を挙げて畳の上へ入れる。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
休んでいる芸人たちと楽屋外の裏通へ出て、その辺に並んでいる射的屋しゃてきやの店先に立ち、景物の博多はかた人形を射落いおとして見たり。やがてそれにもきれば再び二階の踊子部屋へ立戻るのである。
勲章 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
博多はかたの帯をしめたところは、あたりまえの旅芸人のようにも見えますが、少し話をしてみれば直ぐにわかることで、ことに七兵衛のように諸国を飛び歩いている者には、国々のなまりが
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
仏鑑禅師ぶつかんぜんじ(聖一国師とおくり名す、東福寺の開山国師号の始祖)博多はかたに住玉ひたるあとの地中より掘いだしたる石に 菅神のれい唐土もろこしへ渡り玉ひて経山寺きんざんじ無準禅師むじゆんぜんじに(聖一国師の師なり)法を
戰爭の前、博多はかたの町に、かういふ設備を持つた、有名な妓樓ぎろうがありました。
びんのほつれを入念に直したもので、まもなく髪から顔の手入れがひと渡り済んでしまうと、少し荒めと思われるはでな結城縮ゆうきちぢみを素膚へ涼しげにひっかけながら、茶無地の渋い博多はかた伊達だてに結んで
天皇、御年九十三歳ここのそぢまりみつ、御陵は掖上の博多はかた山の上にあり。
結城ゆうきの衣装に博多はかたの帯、鮫鞘さめざやの長脇差を差している。
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
昨夜よんべから、うちの親方のところに、若松の吉田親分をはじめ、下関、小倉、博多はかた、別府などの顔役方がお見えになって、泊りがけで遊んでいなさるんじゃ。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
ささめ、為朝ためとも博多はかた、鬼百合、姫百合は歌俳諧にもんで、誰も知ったる花。ほしなし、すけ、てんもく、たけしま、きひめ、という珍らしい名なるがあり。
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)