“鼎(てい)” の例文
鼎(てい)州の開元寺(かいげんじ)には寓居の客が多かった。ある夏の日に、その客の五、六人が寺の門前に出ていると、ひとりの女が水を汲みに来た。
猿が綱を外(はず)し児を鼎(てい)中に投じ爛(ただ)れ死なしめたので、母が薪を村外に積ましめ、その婢と猿を焚殺したとある(『類函』四三一)。
善庵、名は鼎(てい)、字は五鼎、実は江戸の儒家片山兼山(かたやまけんざん)の子である。兼山の歿した後(のち)、妻(つま)原氏(うじ)が江戸の町医朝川黙翁(もくおう)に再嫁した。善庵の姉寿美(すみ)と兄道昌(どうしょう)とは当時の連子(つれこ)で、善庵はまだ母の胎内にいた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)