院宣いんぜん)” の例文
新大納言や、浄憲法師じょうけんほうしや、鹿ししたにに集まった人々は、その政機を利用して、にわかに、山門討伐の院宣いんぜんを名として、軍馬の令をくだした。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さて『千載集』は寿永二年二月に後白河院の院宣いんぜんが下って、文治三年九月二十日に撰進されたものであった。序文はその日附になっている。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
「もちろんでございますとも、第一、軍兵の召集は、院宣いんぜんということでお集めになりましたもので、ご存知にならぬ筈はございません。いつぞや、鹿ヶ谷の山荘で、院もお出での席、こんな事もあったのでございますよ」
仲秋や院宣いんぜんをまつのほとり
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
ただし、盛遠詮議の辻立つじだちは、あすかぎりで止めよ、という院宣いんぜんは、ただちに洛中各所の、武者のたむろへ、つたえられた。
しかも今度は為兼が失脚したので為世の独擅場である。すぐその年、後宇多院から院宣いんぜんが下り、中一年措いて元応二年に奏覧に供した。『続千載しょくせんざい和歌集』である。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
院宣いんぜんを奉じて、ひとまず、つじつじみな、この夕べ、ひき払うてござりました。……して、上西門院のお探りは』
かいして、持明院統の院宣いんぜんおう。——いくさはここまで勝ってきたが、院宣を持たねば、遂にさいごのは結ぶまい。その者ならば、居所は分っているのか
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼が、切望に切望していた持明院統じみょういんとうのお一ト方による院宣いんぜんはついにこの日までまだ手にすることができなかった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尊氏のことばによって、持明院統じみょういんとう院宣いんぜんここにわれらへくだる——と、満座へ発表されたものであろう。室山の城もゆるぐばかりな歓声が突然わっとそこで揚がった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
公卿が、院宣いんぜんをうけて、おれたちに命じれば、おれたちは、たちどころに、憎めない相手でも、敵に取って、矢をつるにかけなければならない門にわれている身ではないか。
盟主はもちろん西園寺ノ公宗きんむね卿で、きょうの手から持明院殿(花園上皇)の院宣いんぜんを申しうけ、おなじ逼塞ひっそくなかまの公卿どもをもかたらって、事はもう寸前の機までに熟している。