さて『千載集』は寿永二年二月に後白河院の院宣が下って、文治三年九月二十日に撰進されたものであった。序文はその日附になっている。
「もちろんでございますとも、第一、軍兵の召集は、院宣ということでお集めになりましたもので、ご存知にならぬ筈はございません。いつぞや、鹿ヶ谷の山荘で、院もお出での席、こんな事もあったのでございますよ」
“院宣”の解説
院宣(いんぜん)とは、上皇からの命令を受けた院司が、奉書形式で発給する文書。天皇の発する宣旨に相当する。院庁下文よりも私的な形式。
(出典:Wikipedia)
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