酒泉しゅせん)” の例文
つとに祖父の風ありといわれた騎射きしゃの名手で、数年前から騎都尉きといとして西辺の酒泉しゅせん張掖ちょうえきってしゃを教え兵を練っていたのである。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
きゆみで射ようとすると汝疑うなかれといいながらすすみ来て、この地に福がない、君の子孫は西涼の王となるはず故酒泉しゅせんに遷都せよと勧めて去った、すなわち酒泉に奠都てんとし西涼国を立てたという
その年——天漢二年夏五月、——匈奴きょうどの侵略に先立って、弐師将軍が三万騎に将として酒泉しゅせんを出た。しきりに西辺をうかがう匈奴の右賢王うけんおうを天山に撃とうというのである。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
それゆえ、李陵とともにここに越年し、春を待ってから、酒泉しゅせん張掖ちょうえきの騎各五千をもって出撃したほうが得策と信ずるという上奏文である。もちろん、李陵はこのことをしらない。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)