にへ)” の例文
にへといふ船着で、隣の室に若い男と女が戯れて終夜騒いで居ても、袂の手帳に歌をかきつける余裕を失はないやうなのが其時の私であつた。
春雨にぬれた旅 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
松田氏は其母が福山の士太田兵三郎の姉であつたので、名望ある柏軒にまみえてにへを執るに至つたのださうである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
ここに大雀の命と宇遲の和紀郎子と二柱、おのもおのも天の下を讓りたまふほどに、海人あまにへを貢りつ。
我はけふの謝肉祭に賣り盡して、今は珍しきものになりたるすみれの花束を貯へおきつ。かの歌女もし我心にかなはゞ、我はこれをにへにせんといふ。我は共に往かんことをうべなひぬ。
八五郎がこれを『百舌もずにへ』と言つたのは、適切過ぎるほど適切なたとへでした。
ふと見れば何らのにへ
第二邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
或は抽斎と親善であつた枳園は、未だにへを執らざる時、既に蘭軒の家に出入して筆生の務に服したものと看るべきであらうか。此年枳園は十六歳であつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「殺しですよ、親分。江島屋鹿右衞門の塀の上で、あざみの三之助が忍び返しに引つ掛つたまゝ、百舌もずにへのやうになつて死んでゐるんだ。こいつは江戸開府以來の變つた殺しぢやありませんか」
この歌は、國主くずども大にへ獻る時時、恆に今に至るまで歌ふ歌なり。