見憶みおぼ)” の例文
それは少年の頃からよく散歩して見憶みおぼえている景色だが、正三には、頭上にかぶさる星空が、ふと野戦のありさまを想像さすのだった。
壊滅の序曲 (新字新仮名) / 原民喜(著)
なだらかな小丘のすそ、ひょろ長い一本の松に見憶みおぼえのある丘の裾をまわりかけて、突然、彼は化石したように足をとめた。
夏の葬列 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
確かに見憶みおぼえのある道具だが、どうしてもその名前が思出せぬし、その用途ようとも思い当らない。老人はその家の主人にたずねた。それは何と呼ぶ品物で、また何に用いるのかと。
名人伝 (新字新仮名) / 中島敦(著)
そこには私の顔を見憶みおぼえてしまった色の浅黒い、舌足らずでものを云う、しかし、賢そうな少女がいた。彼女も恐らく助かってはいないであろう。
廃墟から (新字新仮名) / 原民喜(著)
粗末な生垣いけがきで囲まれた二坪ほどの小庭には、彼が子供の頃見憶みおぼえて久しく眼にしなかった草花が一めんにはびこっていた。
苦しく美しき夏 (新字新仮名) / 原民喜(著)
西練兵場寄りの空地に、見憶みおぼえのある、黄色の、半ずぼんの死体を、次兄はちらりと見つけた。そして彼は馬車を降りて行った。嫂も私もつづいて馬車を離れ、そこへ集った。
夏の花 (新字新仮名) / 原民喜(著)
妹のところで昼餉をすますと、彼は電車で楽楽園らくらくえん駅まで行き、そこから八幡村の方へ向って、小川に沿うた路を歩いて行った。はるか向うに、彼の眼によく見憶みおぼえのある山脈があった。
永遠のみどり (新字新仮名) / 原民喜(著)
義母は愛着のこもった手つきで、見憶みおぼえのある着物の裾をひるがえして眺めている。彼には妻の母親が悲歎ひたんのなかにも静かな諦感をもって、娘の死を素直に受けとめている姿がうらやましかった。
死のなかの風景 (新字新仮名) / 原民喜(著)