被服廠ひふくしょう)” の例文
本所で多数の人々が死んだのもその結果であろう。被服廠ひふくしょう跡へ逃げろということは巡査が自転車でふれ歩いたと伝えられている。
地異印象記 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
これに聞くと、緑町界隈かいわいの人間はみな被服廠ひふくしょうで死に、生命をたすかったのは自分をはじめ、せいぜい十名たらずであろう——などといった。
棺桶の花嫁 (新字新仮名) / 海野十三(著)
被服廠ひふくしょうの惨状を見ることを免れた私は、思わぬ所でこの恐ろしい「死骸のかわら」を見なければならなかったのである。(大正十二年十二月、渋柿)
柿の種 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
本所ほんじょのお竹蔵たけぐらから東四つ目通、今の被服廠ひふくしょう跡の納骨堂のあるあたりに大きな池があって、それが本所の七不思議の一つの「おいてけ堀」であった。
おいてけ堀 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
被服廠ひふくしょうのところでお婆さんがどうしたとかいう奇妙なくすぐりがあったように覚えているが、もちろんこれも塩辛声で、てんで法返しのつかない代物だった。
随筆 寄席囃子 (新字新仮名) / 正岡容(著)
被服廠ひふくしょうへ通う荷馬車が通る。店の戸が一つずつく。自分のいる停車場にも、もう二三人、人が立った。それが皆、の足りなそうな顔を、陰気らしく片づけている。寒い。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
息子のワーシェンカというのが、どこか被服廠ひふくしょうあたりに勤務していたが、シベリアのイルクーツクへ出向いて、そこから二度手紙をよこしたきり、もうまる一年も便りがない。
真面目まじめな株式の事務員としてどこか頼もしそうな風格の伊沢がそれで、その兄は被服廠ひふくしょうに近いところに、貴金属品の店をもっており、三十に近い彼はその二階で、気楽な独身生活をつづけ
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「お竹倉」は僕の中学時代にもう両国停車場や陸軍被服廠ひふくしょうに変ってしまった。しかし僕の小学時代にはまだ「大溝おおどぶ」にかこまれた、雑木林や竹藪の多い封建時代の「お竹倉」だった。
本所両国 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
長い漂浪の旅から帰って来たお島たちを、思いのほかきよく受納れてくれた川西は、被服廠ひふくしょうの仕事が出なくなったところから、その頃職人や店員の手を減して、店がめっきり寂しくなっていた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
あたしの住んでいた本所ほんじょ緑町みどりちょうはすっかり焼けてしまったうえに、町内の人たちは、みな被服廠ひふくしょうへ避難したところが、ひどい旋風に遭って、十万人もが残らず死んでしまったといいますからネ。
棺桶の花嫁 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「兎に角東京中でも被服廠ひふくしょう跡程大勢焼け死んだところはなかったのでしょう。」
本所両国 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
車につんで、溜池ためいけの方にある被服廠ひふくしょう下請したうけをしている役所へはこびこまれて行く、それらの納めものが、気むずかしい役員のためにけちをつけられて、素直に納まらないようなことがざらにあった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
直に小野田が被服廠ひふくしょうの下請からもらって来た仕事に働きはじめた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)