給田きゅうでん)” の例文
九文給あるいは雲久くもんきゅうなどと、その昔の給田きゅうでんの地名となって残っている例があるが、いわゆる名主・庄屋の元の形を示す名称として存するのは珍しい。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
其死を目撃もくげきした人の話に、デカは昨日甲州街道の給田きゅうでんに遊びに往って、夕方玉川から帰る自動車目がけてえ付いた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
その功もあって、平ノ忠盛には、給田きゅうでんを増され、特に昇殿の資格もゆるされた。
今日きょう余は女児と三疋の犬とを連れて、柿を給田きゅうでんに買うべく出かけた。薄曇りした晩秋の寂しい午後である。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
空で覚えている一二の実例をいうと、公文くもんすなわち荘園時代の書記役の給田きゅうでんの地を、公文給くもんきゅうと呼んでいるのは古い名残であるのに、それを今「九文久」と書いている処がある。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
給田きゅうでん収入みいりは薄く、余得もなく、武士の貧乏は、通り相場なのだった。
千歳村は以上三のあざの外、船橋ふなばし廻沢めぐりさわ八幡山はちまんやま烏山からすやま給田きゅうでんの五字を有ち、最後の二つは甲州街道にい、余は何れも街道の南北一里余の間にあり、粕谷が丁度中央で
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)