竹逕ちくけい)” の例文
晩年には毎月まいげつ説文会を催して、小島成斎、森枳園きえん、平井東堂、海保竹逕ちくけい喜多村栲窓きたむらこうそう、栗本鋤雲じょうん等をつどえた。竹逕は名を元起げんき、通称を弁之助べんのすけといった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
竹逕ちくけい涼雨りょうう怪巌かいがん紅楓こうふう蟠松ばんしょう晴雪せいせつ……育徳園いくとくえん八景といって、泉石林木せんせきりんぼく布置ふち幽邃ゆうすいをきわめる名園がある。
顎十郎捕物帳:08 氷献上 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
この清麗なる雪中の竹逕ちくけいを以て前の上等社会の恋にふ、また用意周到の処なり。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
成善しげよしが海保の塾にった後には、海保竹逕ちくけいしばしば渋江氏に警告して、「大分蔵書印のある本が市中に見えるようでございますから、御注意なさいまし」
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
この年六月に海保竹逕ちくけいが歿した。文政七年うまれであるから、四十九歳を以て終ったのである。前年来また弁之助と称せずして、名の元起げんきを以て行われていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)