端城はじろ)” の例文
今、亀山もおとし、国府も収めたといえ、それらは要するに地方的な端城はじろに過ぎず、勢州攻略のことはまだ敵地を踏んだというだけのものでしかない。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
此時一しよに築かれた端城はじろ六箇所の内で、上座郡左右良まてらの城は利安、鞍手くらて郡高取の城は友信、遠賀をんが郡黒崎の城は之房が預つた。七年十一月に福岡城の東の丸で、長政の嫡男忠之が生れた。
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
大坂市内外にある本願寺の、端城はじろや木戸のとりでなど、五十一ヵ所の守りは、つぎつぎに破却されていた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大阪役の後に、ことごとく天下の端城はじろこぼたれたので、左右良も其數にはれなかつた。併し采地は依然としてをつた。又黒田家の家老としては五十餘萬石の國政をあづかり聞き、五萬餘の士卒を支配した。
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)