潁川えいせん)” の例文
昔は帝堯が己に譲位すべしと聞いて潁川えいせんに耳を洗うた変物あり、近くは屁を聞いて海に入り、屁を聞かせじと砂にすかし込む頑民あり
「——司馬徽しばきあざな徳操とくそう。また道号を水鏡すいきょう先生と申されます。生れは潁川えいせんですから黄巾の乱なども、よく見聞しておいでになります」
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いわずともよい言葉であったが、潁川えいせん以来、とかく官兵の空威からいばりに、業腹ごうはらの煮えていたところなので、つい口をついて出てしまったのである。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その年の十二月、曹操の遠征軍は、まず陳の国を攻め、汝南(河南省)潁川えいせん地方(河南省・許昌)を席巻せっけんして行った。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「オオ、ではかつて、黄巾の乱の折、広宗こうそうの野や潁川えいせん地方にあって、武名を鳴らした無名の義軍を率いていた人か」
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
潁川えいせんから広宗へ向った玄徳の隊が、形勢の変化に、途中から引っ返してきて、ただ今、着陣いたしましたが」
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
賊の総大将張角の弟で張宝ちょうほう張梁ちょうりょうのふたりは目下、潁川えいせん(河南省・許昌)のほうで暴威をふるっている。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
潁川えいせんの産れで家柄はよく、後漢の名家の一つで、傑士荀淑の孫にあたっている。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分の根城ねじろだった兗州えんしゅうを失地し、その上、いなご飢饉ききんやくにも遭いなどして、ぜひなく汝南じょなん潁川えいせん方面まで遠征して地方の草賊を相手に、いわゆる横行おうこうをやって苦境をしのいでいたが
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その頃、潁川えいせん大儒たいじゅ石韜せきとうは、諸州を遊歴して荊州にきていた。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)