河内かふち)” の例文
河内かふち」は、河からめぐらされている土地をいう。既に人麿の歌に、「たぎつ河内かふち船出ふなでするかも」(巻一・三九)がある。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
天皇、御年、一百二十四歳ももちまりはたちよつ。(己巳の年八月九日崩りたまひき。)御陵は河内かふち多治比たぢひ高鸇たかわし三五にあり。
たぎ河内かふち」は、今の宮滝みやたき附近の吉野川で、水が強く廻流している地勢である。人麿は此歌を作るのに、謹んで緊張しているから、自然歌調も大きく荘厳なものになった。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
天皇御年七十八歳ななそぢまりやつ。(甲午の年正月十五日崩りたまひき。)御陵は河内かふち惠賀ゑが長枝ながえにあり。
やまたか白木綿花しらゆふはなちたぎつたぎ河内かふちれどかぬかも 〔巻六・九〇九〕 笠金村
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
意祁おけの天皇の御子、橘の中比賣の命に娶ひて、生みませる御子、石比賣いしひめの命、次に小石比賣の命、次に倉の若江の王、また河内かふち若子わくご比賣に娶ひて、生みませる御子、の王、次に惠波ゑはの王。