比翼塚ひよくづか)” の例文
その頃年少のわたくしがこの寺の所在を知ったのは宮戸座の役者たちが新比翼塚ひよくづかなるものに香華を手向けた話をきいた事からであった。
里の今昔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「男同志の比翼塚ひよくづかってものは天下無類だろう。皆絶交されてしまったのにたった一人残ったところを見ると、僕も多少変人かね?」
変人伝 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
そこで米友は庇の上へ腹這いになって下をのぞいて見ると、食事をおわったお歴々の連中は、しきりに比翼塚ひよくづかの噂をしているらしい。
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
前にいった瀧泉寺門前の料理屋角伊勢かどいせの庭内に、例の権八ごんぱち小紫こむらさき比翼塚ひよくづかが残っていることは、江戸以来あまりにも有名である。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
この人達は終生変ることのない精神的な愛情をかわしたなんて書いてありましたっけ。まあ比翼塚ひよくづかのようなものですね。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この寺には何でも司馬江漢や小林平八郎の墓の外に名高い浦里時次郎の比翼塚ひよくづかも建っていたものである。僕の司馬江漢を知ったのは勿論余り古いことではない。
本所両国 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
御二方おふたかたそろって、あたかも比翼塚ひよくづかと申してもいいような有様の下に眠らせたもうておらるるのである。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
雑司ヶ谷の島村抱月、松井須磨子の比翼塚ひよくづかは、生々しい記憶が付き纏っているが浅草には白井権八と小紫の比翼塚が伝説的な存在として、実話とはおよそ縁の遠い懐かしさを感じさせる。
「偉い! 楠公なんこう以上、赤穂義士以上、比翼塚ひよくづかを立てろ!」というようなことになるのであります。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
僕は萩寺の門を出ながら、昔は本所ほんじよ猿江さるえにあつた僕の家の菩提寺ぼだいじを思ひ出した。この寺にはなんでも司馬江漢しばかうかん小林平八郎こばやしへいはちらうの墓のほかに名高い浦里時次郎うらざとときじろう比翼塚ひよくづかも残つてゐたものである。
本所両国 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)