正風しょうふう)” の例文
だからこの正風しょうふう境目さかいめのはっきりと区切られるまでの間、あまり深々と立入って見ようとする人の無かったことは幸いでもあった。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それで俳諧でも「カピタンをつくばはせ」たり「アラキチンタをあたゝめ」たりしながらいわゆる正風しょうふうを振興したのであった。
チューインガム (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
元禄げんろく以前にありては俳諧は決して正風しょうふう以後におけるが如く滑稽こっけい諧謔かいぎゃくの趣を排除せざりしなり。余は滑稽諧謔を以て俳諧狂歌両者の本領なりと信ずるなり
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
正風しょうふうとか、檀林だんりんとかいうまでもなく、一種の俳諧味を多量に持った道づれの旅人と見ればそれでよろしい。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
正風しょうふうの萌芽発せんとしていまだ発せざるなり。たまたまに佳句あるは半ば偶然のみ。
古池の句の弁 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
芭蕉ばしょうが死んでから弟子共が正風しょうふうの本家はおれだ我だと争った話があります。
創作家の態度 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
芭蕉のいはゆる正風しょうふうを称道したるはおもふに当時俳諧師の品性はなはだ堕落しつづいて俳諧本来の面目たりし軽妙滑稽の意義したがつてはなはだ俗悪野卑に走りしを見て
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
或る一人が物を知り世を観じて得たものを、常に自分ばかりの功名にしか利用しなかったなら、たとえ短い一期間にもせよ、正風しょうふうの俳諧は是までは栄えなかったろう。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
今の漫画は俳諧はいかいならば談林風のたわけを尽くしている時代に相当する、遠からず漫画の「正風しょうふう」を興すものがかえって海のかなたから生まれはしないかという気もする。
映画芸術 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
しかも蒼虬の句中たまたまこの悪句あるに非ず、彼が全集はことごとくこの種の塵芥じんかいを以て埋めらるる者なり。しかしてこの派を称して芭蕉の正風しょうふうなりといふに至りては真に芭蕉の罪人なり。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
正風しょうふう初期の俳人たちのごときは、各自の生活経験の最も大切なものを是に持ち寄って、それを彼らの愛するメロディに順序立てて、心から悲喜し哄笑こうしょうしようとしていたのである。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
富貴まこと浮雲ふうん 滑稽初めて正風しょうふう
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)