東人あずまびと)” の例文
また此歌の左注に、憶良が病んだ時、藤原朝臣八束ふじわらのあそみやつか(藤原真楯またて)が、河辺朝臣東人あずまびとを使として病を問わしめた、その時の作だとある。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
錦木を娘の家の門に立てた東人あずまびととは別で、娘の家のまわりを、自身名と家とをよばうてとおる。これが「よばひ」でもあり「名告なのり」でもある。
最古日本の女性生活の根柢 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
あるとき、大伴古麿が小野東人あずまびとに向つて、押勝を殺す企みの者があるときはお前は味方につくか、ときくので、東人は、つきますとも、と答へたといふ。
道鏡 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
彼れあるいは本来東国の土豪たる東人あずまびとであって、系図を名家に仮托したのであるかも知れない。
奥州における御館藤原氏 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
『源氏物語』のできた時代に生きていた藤原明衡ふじわらのあきひらの『新猿楽記』によると、当時の曲目の一部は、「京童きょうわらべ虚左礼こされ」、「東人あずまびとの初京上り」、「福広聖の袈裟求けさもとめ」、「妙高尼みょうこうに襁褓乞むつきごい
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
しかしてこれ実に中世以後家人けにんもしくは郎等の称をもって知らるる武士その物と性質を一にす。奈良朝における中衛府の兵士これを東舎人あずまのとねりと称す。東人あずまびとをもって組織せる兵士の義なり。
武士を夷ということの考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
国史地理学上、本邦の種族調査の一部として、さきに「夷俘・俘囚の考」と「東人あずまびと考」とを発表したる余輩の研究は、ここに中世において武士をえびすと称したることの理由を説明すべき順序となれり。
武士を夷ということの考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
これを東人あずまびとと申しました。彼らは佐伯部と同じく忠勇なる兵士でありまして、ただに皇室の近き護りとして使役されましたばかりでなく、遠く九州の海岸防禦の任務を帯ぶる防人として送られます。
本州における蝦夷の末路 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
九 東人あずまびと
本州における蝦夷の末路 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)