月光がっこう)” の例文
脇立わきだちの梵天ぼんてん帝釈たいしゃくの小さい塑像(日光にっこう月光がっこうともいわれる)が傑作であることには、恐らく誰も反対しまい。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
この本尊を中心にして、両脇りょうわきには周知のごとく日光菩薩ぼさつ月光がっこう菩薩とが佇立している。いずれも鮮かに彩色されていたそうだが、いまは剥落はくらくして灰白色になってしまった。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
同じ三月堂の塑造日光月光がっこうの両菩薩ぼさつ像もその傾向を推し進めたものであり、更に戒壇院の四天王像になると聡明な頭脳と余裕ある手腕とによる悠揚せまらぬ写実の妙諦みょうていに徹底している。
美の日本的源泉 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
その最も代表的な例を我々は三月堂本尊に侍立せる白く剥落せる二つの塑像そぞう日光にっこう月光がっこう)や、戒壇院の四天王や、聖林寺しょうりんじ十一面観音などに見いだすことができる。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
正面に結跏趺坐けっかふざする本尊を中心に、右に日光菩薩ぼさつ、左に月光がっこう菩薩が佇立ちょりつしているが、この二はあくまで本尊と調和を保って、云わば三尊そろって一つの綜合そうごう的な曲線を描き
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
この種の叙情詩を持つ日本人が、三月堂の月光がっこうを造ったとして何の不思議があるだろう。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
本尊の薬師如来にょらい脇侍きょうじの日光月光がっこう菩薩ぼさつを、きょうはゆっくり拝したいと思ってやって来たのである。いままでも薬師寺を訪れたことは屡々しばしばあるが、堂内の拝観をうことはまれであった。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)