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後漢
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ごかん
ふりがな文庫
“
後漢
(
ごかん
)” の例文
後漢
(
ごかん
)
のむかし、
魏
(
ぎ
)
の
曹操
(
そうそう
)
が、
西涼軍
(
せいりょうぐん
)
の
北夷
(
えびす
)
の兵が自分らの行装に、おどろきの眼をみはって、指さし囁きあうのを見て、馬の上から
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
シナの
後漢
(
ごかん
)
の官吏、
馬融
(
ばゆう
)
は『忠経』を著わし、孔子の『孝経』にまねて、忠を論じている。それを、日本文に訳すると、つぎのとおりである。
天皇:誰が日本民族の主人であるか
(新字新仮名)
/
蜷川新
(著)
けれど史中の人物を巧妙自在に
拉
(
らっ
)
して活躍させ、
後漢
(
ごかん
)
の第十二代霊帝の代(わが
朝
(
ちょう
)
の成務天皇の御世、西暦百六十八年頃)から
三国志:01 序
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
北宋の
朝
(
ちょう
)
は、歴史では、金に敗れたとなるだろうが、実は
疾
(
と
)
くに自分自体で敗れていたのさ。遠い前の、唐、
晋
(
しん
)
、
後漢
(
ごかん
)
、前漢、
秦
(
しん
)
、周——の前例どおりさ。
人間山水図巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「ハハハハ、赤馬はよかったな。まさに
後漢
(
ごかん
)
の
呂布
(
りょふ
)
の愛馬
赤兎
(
せきと
)
を思わす風がある。甥御さんと伺ったが」
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
なぜならば、今の
後漢
(
ごかん
)
の帝室は、わたし達のご先祖を亡ぼして立った帝王だからです。景帝の玄孫とわかれば、とうに私たちの家すじは
断
(
た
)
ちきられておるでしょう。
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「むかし
後漢
(
ごかん
)
の
呂布
(
りょふ
)
が愛していたという
赤兎
(
せきと
)
にも勝りましょうな。書写山とは、馬の名もよし、安土のお厩を出たものなら
鞍縁起
(
くらえんぎ
)
も上々吉。きっとよい出世いたしましょう」
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
なにしろ、黄河の上流、洛陽の都には今、
後漢
(
ごかん
)
の第十二代の帝王、
霊帝
(
れいてい
)
の
居城
(
きょじょう
)
があるし、珍しい物産や、文化の
粋
(
すい
)
は、ほとんどそこでつくられ、そこから全支那へ行きわたるのである。
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いや、
東京
(
とうけい
)
の
蔡
(
さい
)
大臣が、
蒲東
(
ほとう
)
の
大刀関勝
(
だいとうかんしょう
)
という者を
抜擢
(
ばってき
)
し、彼に大軍をさずけて差しくだしました。ところが、この関勝は、有名な
後漢
(
ごかん
)
の名臣
関羽
(
かんう
)
の子孫。なかなか勇武奇略があるらしい。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「なるほど。覇とは顔役のことか。
後漢
(
ごかん
)
の三国に似せたのだな」
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
後漢
(
ごかん
)
の
建寧
(
けんねい
)
元年のころ。
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
後漢
(
ごかん
)
の英雄でしょう」
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“後漢”の解説
後漢(ごかん、zh: 後漢、Hòuhàn、25年 - 220年)は、中国の古代王朝。漢王朝の皇族劉秀(光武帝)が、王莽に滅ぼされた漢を再興して立てた。都は洛陽(当時は雒陽と称した。ただし後漢最末期には長安・許へと遷都)。五代の後漢(こうかん)と区別するため、中国では東漢(zh: 東漢、Dōnghàn)と言う(この場合、長安に都した前漢を西漢という)。
(出典:Wikipedia)
後
常用漢字
小2
部首:⼻
9画
漢
常用漢字
小3
部首:⽔
13画
“後漢”で始まる語句
後漢書
後漢時代