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岩淵
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いはぶち
乘出し
蒲原の
驛外にて夜も
明渡り
辨慶清水六代御前松並木も打越て
岩淵の渡りに來り
暫時休息なし
頓て富士川の
逆卷水も押渡り岩を
前は
東海道岩淵へ
落す
急流、しかもこゝは
釜が
淵と
申す
難所でございます。
百樹曰、
余京水をしたがへて越後に遊びし時、此
小千谷の人
岩淵氏(牧之老人の親族なり)の家に
笻をとゞめたる事十四日、(八月なり)あるじの
嗣子廿四五
許、
号を
岩居といふ、
書をよくす。
百樹曰、
余京水をしたがへて越後に遊びし時、此
小千谷の人
岩淵氏(牧之老人の親族なり)の家に
笻をとゞめたる事十四日、(八月なり)あるじの
嗣子廿四五
許、
号を
岩居といふ、
書をよくす。