山楽さんらく)” の例文
「宋版の一切経さいきやう山楽さんらくの屏風を見せたところで、解りさうにもなし、やつぱり将門の髑髏しやれかうべを見せるに限る。あれならばまさか貰つて帰るとも言ふまいから。」
永徳の時代、友松ゆうしょうのあったことも記憶すべきだが、その子に山楽さんらくの出でたことこそ忘れてはなりませんよ。
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
というような迎え方が、画師永徳えいとくにも、弟子の山楽さんらくにも、召使の婆やの様子にも、ありあり見えた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかしここにもし光琳こうりんでも山楽さんらくでも一枚持ってくればやっぱり光って見えはしないかとも思う。
二科展院展急行瞥見 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
案内した山楽さんらくも、枝折戸を開けてから、その美貌に、眼をみはった顔つきである。年は、まだ十七か八としか見えないのに、落着いた物ごしにも、少なからず、おどろいた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ことに問題のあの『山楽さんらく』でございました。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
北宋、南宋の稀品きひん。また、東山殿どのあたりからの名匠の邦画。それから現代画として行われている山楽さんらくだの友松ゆうしょうだの狩野家かのうけの人々の作品など、折あるごとに、武蔵は観てきた。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
師の狩野永徳かのうえいとくは、四十三、四歳、弟子の山楽さんらくは、二十五、六か。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)