尾鷲おわせ)” の例文
町長さんの古曲“尾鷲おわせぶし”を聞く。さらにぼくの方へも「土地の婦人会の方たちがお目にかかりたいといって来ていますが」
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ある漁夫の話によると、紀州沖から火の玉が飛んで来て、尾鷲おわせ附近で一たん止まり、北方に飛び去った(水路部、前掲)。
地震なまず (新字新仮名) / 武者金吉(著)
テクサリという名は私の郷里だけでなく、近畿では処々に行われているようだが、伊予の大三島おおみしまなどではこれをテハレグサ、紀州の尾鷲おわせではヒゼンバナといっている。
『紀伊続風土記』九十に尾鷲おわせ郷の地士世古慶十郎高麗陣に新宮城主堀内に従って出征し、手負ておいの虎を刺殺し秀吉に献じたが、噛まれたきずを煩い帰国後死んだとは気の毒千万な。
やがて尾鷲おわせ。駅前から海気にそよぐ狭い灯の町を車で一走、磯の断崖の上にある五丈という変った名の旅館におちつく。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それよりもさらにわかりにくいのは紀州東熊野ひがしくまの尾鷲おわせあたりで、ナンコビまたはゴコトンボというのが同じ遊びの名である。ナンコビの方はまだ不明だが、他の一方は私には説明できる。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
三重県尾鷲おわせ附近では、地震の前にカツオが多獲されたので、同地の漁師は昭和十九年の東南海地震の経験からまた地震があると予言していたそうである(水路部、昭和二十一年南海大地震報告)。
地震なまず (新字新仮名) / 武者金吉(著)
それからまた、紀州に鉄砂あるを、従来記したものないよう書いたが、それは和歌山県の分だけでの事で、『紀伊続風土記』九三に、砂鉄牟婁むろ郡(三重県)尾鷲おわせ郷に産す盆石に添えて観美なりと出づ。
尾鷲おわせから送ってくれた五丈館氏と運転手氏は、ここで尾鷲おわせへ帰った。あとで聞けば、峠でトヨペットが故障、帰りは夜が明けてしまった由。なんとも、多謝多謝。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)