小山内薫おさないかおる)” の例文
その間には、小山内薫おさないかおる君、有島生馬いくま君、青木しげる君、田山花袋君、それから柳田国男君を馬場裏の家に迎えた日のことも忘れがたい。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
川柳久良岐せんりゅうくらき氏は弔した。「緑の朝」は伊太利イタリーの劇作者ダヌンチオの作で「秋夕夢」と姉妹篇であるのを、小山内薫おさないかおる氏が訳されたものである。
松井須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
昼休みの時間に、僕は教室にひとり残って、小山内薫おさないかおるの「芝居入門」を読んでいたら、本科のひげもじゃの学生が、のっそり教室へはいって来て
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
松居松葉、笹川臨風、小山内薫おさないかおる、水野葉舟、木下杢太郎もくたろう与謝野よさの寛、倉田百三、ちょっと思い出しきれない程である。
今の文学士小山内薫おさないかおるさんと画家岡田三郎助おかださぶろうすけさんの妻八千代やちよさんとは建の遺子である。矢島優善やすよしは弘前にとどまっていて、戦地から後送こうそうせられて来る負傷者を治療した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
看方みかたよってはこの遊戯気分が都会文芸の一要素となってるので、永井荷風ながいかふう小山内薫おさないかおるや夏目漱石の提撕ていせいを受けた三田派や人生派の芸術も著るしくこの戯作者的気分を持っている。
硯友社けんゆうしゃ花やかなりし頃の作家では、巌谷小波いわやさざなみ山人にたった一回、大正時代に有楽座で自由劇場の第何回目かの試演の時に、小山内薫おさないかおるに紹介してもらって、廊下で立ち話をしたことがあった。
文壇昔ばなし (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
その一例を挙ぐれば、曾て文藝春秋社の徒が、築地小劇場の舞台にその党の作品の上演せられなかった事を含み、小山内薫おさないかおるの抱ける劇文学の解釈を以て誤れるものとなした事の如きを言うのである。
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)