尊王攘夷そんのうじょうい)” の例文
それの巻頭には誰の筆とも知らず、達筆に尊王攘夷そんのうじょういの主意がしたためられてあって、その主意に賛成の者は来るを拒まず、ということになっている。
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
国の隅々からわきたつ「尊王攘夷そんのうじょうい」の声は、かれをも宮家の一有司たる位置から奮起させずにはおかなくなっていた。
日本婦道記:尾花川 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
尊王攘夷そんのうじょういを旗じるしにする一部の水戸の志士はひそかに長州と連絡を執り、四月以来反旗をひるがえしているが、まだその騒動もしずまらない時だ。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
尊王攘夷そんのうじょういを奉じる士気はさらにふるい、たとえ、一時は脱藩だっぱんの汚名をうけても、やがては藩侯へ赤誠もとどくものと——彼の胸中には俯仰ふぎょうして恥じる何ものもなかった。
旗岡巡査 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この尊王攘夷そんのうじょういの真只中へ乗込もうて代物しろものでげすから、たとえ眼の色、毛の色が変りましょうとも、一筋縄の奴等じゃあがあせん、うっかりしていた日には
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
尊王攘夷そんのうじょういという言葉は御隠居自身の筆に成る水戸弘道館の碑文から来ているくらいで、最初のうちこそ御隠居も外国に対しては、なんでも一つこらせという方にばかりこころざしを向けていたらしいが
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
国事御多端ごたたんとき——という諭令が出たが、どう多端なのか、尊王攘夷そんのうじょういということばや、京都江戸あたりの騒がしいくらいな事は、耳にもしてるが、百姓たちには、その必然性が、認識できなかった。
(新字新仮名) / 吉川英治(著)
「長州は今、尊王攘夷そんのうじょういで、国を寝かすか起すかと沸いている、あんなところへ、我々は飛び込めない」
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
その日蓮上人は小湊こみなとの浜辺に生れて、十二歳の時に、同じ国、同じ郡の清澄きよすみの山に登らせられてそこで出家を遂げました。それは昔のことで、この時分は例の尊王攘夷そんのうじょういの時であります。
大菩薩峠:18 安房の国の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
また、水争いの公事くじを、この辺まで持込んで、待機の構えでいる附近の農民が隠れているかいないか。或いは尊王攘夷そんのうじょういが、海道の主流を外れたこの辺の商業地の間にまで浸漸して来ているかいないか。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「多分尊王攘夷そんのうじょういでしょうよ」
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)